時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

自分のために食事を作る

いろいろあって、晩御飯を一人で食べることになった。(現在、実家暮らし)


で、食べたのがカップ焼きそば。

しかし、それを半分以上食べ終えてから気づく。
焼きそば以外、食べていないと。

 

言葉の通り、焼きそばだけ。野菜も具も、何もない。

ただ小麦粉で作られた麺を、付属のソースに絡めて食べただけ。

濃い味は苦手だから、ソースはいつも少なめにすると、パッケージとは違って食欲を全くそそられない焼きそばが出来上がる。

 

今までカップ麺もカップ焼きそばも散々食べてきたのに、虚しさを感じた。

その焼きそばの麺が、好みでなかったのもある。

 

しかし、なんというか、食事をしたというよりかは、胃に何かを入れただけ。

おいしいとは思うが、何かが違う。つまらない。


仕方がないから、それくらいで切り上げ、卵と豚肉をフライパンで焼いて食べた。

 

これすら、料理とは言えない。

ただ、具材を焼いただけ。現代人の食事とは到底思えないほどの、サバイバルな食事。

時間が遅かったのもあるし、材料がなかったのも事実。


しかし改めて、私は自分においしい料理を食べさせるという気持ちが全くないことに気が付いた。

 

いや、単に細切れの豚肉を焼き、卵を薄焼きにしたものも、食べれば十分おいしいのだ、私にとって。

私はそれだけで十分。満足。だからこそ、むなしい。

 

一人暮らしをしていた頃も同じ。

食に興味がない。だからこそ、メニューの数も少ない。

 

それでも調理をしているだけマシだった。

面倒な時は、唐揚げのパックを買ってきて、それだけ食べて終了の日もあれば(残念なことに、度々あった)、買ってそのままの食パンだけの日もあった(残念なことに、頻繁にあった)。

 

今でも、手軽なお弁当やパンで十分。

忙しいとか、面倒とかでなく、興味がない。

時間かけて自分においしい料理を作り、自分に食べさせるという発想に乏しいのだ。

 

自分で自分一人のために、料理を毎日作っている人が目の前にいたら、「何のために?」と疑問を投げかけると思う。

 

かといって、外食をしたいわけでもない。

 

そんなに高いお金と、他人もいる空間にわざわざ赴いて一人食事をする。

そんなことを、基本、したいとも思わない。

それなら、ハンバーガーでも買って帰った方がいい。

 

こんな自分であり、そのあり方に不満を持っていない。

でも、こんなんでいいんかなーとは、ちょっと思う。

 

料理ともいえないものを補給し、胃袋のみを満たす食事。

 

それを実際に久しぶりにやってみて、自分を大事にするって、こういうところもそうだなと思った。


自分のために料理を作り、食べる。

そんな基本的なこと、これも一つの自分を大事にする行為だと思う。

 

食べたもので、身も心もできているのだから。

どんなに高級な化粧品やエステに行っても、きちんとした料理を自分に作り、食べている人には勝てない。

 

自分を大事にするって、あんまりよく分からんかったけど、自分のために食事を作るっていうのも、一つの方法だなぁと、納得した今日の気が付き。