夢は実現させるもの

そんな友人(取り残される者同士の共通点)のお母さんから、実はプレゼントをもらった。手作りの。

遊びに来てくれる際、そのことをお母さんに告げた友達は、私にあげてくれと、持たせてくれたらしい。

面識はなく、名前すら知らないのに、一体どうして。

聞けば、いつもお母さんに私の話をしているのだという。

一体、どんな話をしているのだろう。

私は別に、著名人でもなんでもないというのに。

私の愛読書のさくらももこ作「ももこの宝石物語」の中で、「いつもさくらさんの話を家族としている」という宝石商家族からの言葉に、一体どんな話をしているだ・・・?というさくらももこの疑惑と同じ気持ちを抱いた。

 

この友人以外の友人も、私のことをご両親に話しているらしく、友達のお母さんからは、なぜか一定評判があるらしい私。

そんな私は、昔から友達の話を親に一切しない。

なんで、みんなそんな簡単に、親と話ができるの・・・?

他人と話す以上に、物凄いハードルが高いんですけど。

みんなの普通が、私にとって普通ではない。

 

さて、前回記事(取り残される者同士の共通点)から急展開にはなるけれど、友人(前記事でデザインの仕事やってみたかったという、例の友人)と、この度、一緒に趣味でモノを作ることになりました。

元々工作とか手芸が好きで、ちょいちょい趣味で作ってたのだけれど、その記事を書いた日曜の夕方、たまたま手芸店に行った帰り道「デザインしてもらって私が作ればいいんじゃない?」と、ふと思い立ったため誘ってみたら、いいお返事がもらえた。

まあ、趣味でしかないし、どんな方向のデザインをやりたいのかは分からないけど(一応インテリア系とは言ってた)、こういう小さなきっかけで、いつかその友人の副業なんかになれば嬉しい。

 

結局、我々みたいな最初の一歩が怖い人間は、何かしら滑り出したら動きやすいタイプなので。

何かを始めるのに、勉強なんて不要だ!

午前中、始めるにはまず学校で勉強してからじゃないと、と思っていた私が、夜には「まずはやってみない?」と誘っているのだから、人生って分からない。

まずはやってみて、必要なら本格的に勉強していけばいい。やってみて向いてないと、諦めるのもまたひとつ。そんな結論を出している自分に驚きだ。

友人も、あまりの急展開に驚いていることだろう。

土曜日に会った時、初めて昔からの夢を口にしてれた友人。その翌日に、マジで小さな一歩だけど実現し始めているくらいだから、本当に実現化が早いよ、風の時代。

夢は秘めるのでなく、自分の外に出して、初めて実現に近づくものだと、妙に実感。

だって、言ってくれなかったら誘うことなんて永遠になかったもの。

だから、私の夢を一つ暴露します。

「将来、婚活関係(もとい、人と何かをつなげる仕事)の仕事を立ち上げたい!そのためのパートナーが来てくれますように!」

頼むぜ神様!

 

そしてふと、過去の記事(節目の誕生日を思い出す)で「人を巻き込みたい」と書いたことを思い出した。

あ、巻き込んでる。ちゃんと実現してるじゃないか私よ。

昔、その友人含めた3人で旅行に行ったことがあって、その時は私が先に寝たものだと思った二人が「(私に)振り回されてるよな、うちら」的な話をしてたけど、ええ、まさに。

昼に思っていた信念が、夜には変わっているのだから、そりゃ周りからすれば振り回されるわ。

私は周りを無自覚に振り回す人らしいです。

 

取り残される者同士の共通点

再び、友人に会いました。

共に独身。仕事で盛り立てていこうという覚悟も、その気もない二人。

そして実家暮らし。

友人は給料がいい仕事をしている一方、私は少なく、ましてや不安定な雇用の身。

そんな彼女でも、仕事を今すぐに辞めたいと言っている。

 

じゃあ、どんな仕事をやってみたい?と聞くと、デザインの仕事を昔からやってみたかったと。

その昔がいつかは聞かなかったが、例えば、それが20歳くらいだったとして、それならどうして、専門学校に行かなかったのか。

もちろん、今からでも夜間に通う道がないことはない。でも、ただでさえ嫌な、忙しい仕事の後に学校に通って勉強なんて、ちょっとキツイよな。

なにより「今更勉強なんてしたくない」と彼女は言う。

なら、なおさら、なぜ在学中に勉強を始めなかったのかと、疑問は浮かぶ。

大学4年ならば、ほぼ授業もないというのに。おまけにバイトもしておらず、時間だけはあったというのに。

とはいえ、その子は当時は全く関係ない会計系の資格の講座に出ていたそうだが。いや、お金の勉強は、それはそれで大事だけどね。

 

そんなことを話したその日。

その日の夜、私も別の友人に、同じことを言っていたことを思い出した。

別にやりたい仕事ではないけれど、「こんな仕事とか向いてるんじゃない?」という雑談の最中に言われた言葉。

それに対して「今更勉強はしたくないよ」と返した私。

思考回路が似ている。

いや、似ているからこそ、友人で居られるのだが。そして人生の行き詰まりも同様。

何かを始める時、特に専門的な技術がモノを言う世界に飛び込むには、学校に通って勉強する必要があると。

それは正しいことだと思うけど、別にそうでなくてもできる可能性はある。

なのに、まずはこれが前提だと、互いに思い込んでいる。

そして、それが自分の中で正しいことだと分かっていても、始める気がないという共通点。私なんて、仕事も勉強もしていない時期があったのに、何も始められなかったのよ。

それだけではない。

共に家を出たいという希望が密かにあるものの、なかなか現実として進められない。

自信がない。

住む家をちゃんと、間違いなくセレクトできるのか、という自信が。

私一人ではできない、無理だという、そこに持っている謎の自信。どうせ自分には無理という方向に、自信を持ってしまっている。

私も、友人も。

 

別に、仕事はともかく、家なんて、たかが賃貸。

失敗しても、すぐに別の家を探せばいい。彼氏だって、嫌なら取り換えればいい。

なのに、最初から「チャンスは最初の一度だけ」だと思い込んで、その最初を失敗するのが怖くて何もできないでいる。

行動できるかできないか、その両者の間には、「チャンスが1度だけか、いくらでもあるか」、その捉え方の違いがあるのではないかと思う。

まあ、慎重と言えばそれまでで、その慎重さは、生き物にとっては必要なことなんだけど、別に今、私らはサバイバルしてるわけではない。命の危機を感じる必要はない。

もう、そんな思考にはいい加減、黙っていてもらいたい。

 

昔の私は、確かに自信がない時があった。

人と話をすることが怖かった。

店員との会話が苦手だった。

でも、今の私は、それを克服とまではいかないが、少しは上達して、年齢を重ねたなりの余裕だって生まれている。

自分にはできない、苦手だと思い込んでいるその要因は、過去であった自分の姿なのではないのかい?

いつまでも過去の思考に囚われているからこそ、人生がパッとせず、不満を抱えているものの、それをどうにかすることも出来ずに燻っている。

同じ境遇の友人を見て、そんなことが見えてきた。

だからこそ、年を重ねると、どんどん周りから取り残され、取り残された者同士で固まってしまうのかもしれない。

 

革命児、現る

仕事場の別部署に、この春から新人さんが来ている。

20代半ば、外国語大学を出て留学経験もあり、卒業後も事務で英語を使って仕事をしていたらしく、見た感じは大変可愛らしいけれども、しっかりとしたお嬢さんである。

そんな方と、ここしばらく作業をご一緒している。

実は、かなり仕事ができる方なのではないか、と思ったのは、そうした作業の準備段階から。

これまで、少なからず手作業でやっていたものや、PCで作成後印刷して渡していた回答の必要な社内書類を、彼女が担当する分を一気にデジタル化してしまったからだ。

保守的な人が多いためか、郵送の準備にしろ連絡文書にしろ、とにかく手作業が多かった。

これまで封筒にいちいちハンコを押していたものを印刷にしたり、住所ラベルのシールでさえも、剥がすのが手間だと差し込み印刷に変更。印刷して渡し、その回答を手入力していたものを、Excelファイル添付で直接入力させるようにしたり。

 

すごい。このポテンシャルはすごい。

本人曰く、「手間がかかりすぎる。私は効率化させたい。残業するのが嫌」とのこと。

そのためには、これまでのやり方をやめ、自ら新しいやり方に挑戦し、当然、それに伴う周りからのクレームも覚悟しているのだそうだ。

「従来のやり方でも、いい部分は残して、変えられる部分は一新していかないと」

「変えたがらない人が多いけど、時代に合わせるべきだと思う」

保守的な部類に入る私は、「ほえー」と唸った。

 

このポテンシャル。この情熱。

残業が嫌だという一人の若き人間の力が、これからの時代を拓いてゆく。

私は時代のまさに変わり目を、目の当たりにした。

行動が早く、自分の思いを実践していくパワーに溢れている。

恐らく迷いや悩みもあるだろうが、傍から見れば、そんなもの一切感じさせないような、迷いのなさ。強い信念。突き進む勇気。度胸。

恐れ入った。事務経験者といえど、わずか半年でここまでやってのけるのだから、革命児と言わざるを得ない。

 

とはいえ、世の中に多いのは、私のような保守的なタイプで、彼女のようなタイプは少数派だと思う。

ヒト含めた生き物が、変化を嫌うのは仕方がないことなのだ。

とくに、この近年は変化のスピードが速すぎる。

進化というものは、いつだって緩やかだったのだ。

変わらないことで、生き物はこれまで生き延びてきたのだから、急な変化は恐怖を思い起こすのである。それは不愉快という気持ちとなって表れてくる。

 

でも正直さ、今の社会が今後も続くとして。

単純作業の需要というのも、あると思うんだよね。

心身どこかを患っている場合や、高齢者だったり。

高齢の方も働き出した時、PCでの作業やスピードを重視する仕事って、どうなのだろう。

障害を持つ人や高齢者は、今後も働いていくよ。そういう方たちでも輝ける社会を作りたいんでしょ。

これからのスーパー高齢社会。そして福祉社会。

多少は非効率的でも、お金を稼げる場所、社会の一員として貢献できる作業が必要なんじゃないの。

効率を求められるのは、結局は、現役の正社員というか。選ばれし者なんだよね。今は、その一部の人たちに負担が行き過ぎている。

かといって、雇う人を増やす余裕もない。

結果的に、膨大な仕事量を少数で回すために効率化を選ぶしかないけれど。。

雇用を守るか、少数で回していく無駄のなさを追求するのか。

私は、揺れるよ。

 

とはいえ、そんな彼女であるが、実はそれぞれの作業にかかる時間の計算がうまくいっておらず、時間がかかると思っていた作業が実は早く終わり、早く終えられるであろう作業に、時間がかかっている現実がある。

他人も含めた作業なのだから、個々人の差は仕方がない。おまけに、初めての仕事だしね。計画というものは、頓挫するのが常識である。

彼女の効率的な作業スケジュールは、早くも危機が迫っている。本人は、本日お休みを取っていたので、この現実を知らない。はたして、10月までに終えられるのだろうか?

 

仕方がないので、今後のために、作業にどれだけの手間と時間がかかったのか、メモに残して引き継げるようにしよう。

 

仕組まれたプログラム⑤~祖母・母・娘へと繋がる

さて、そんな母であるが、あの人も、あの人なりに、色々思うところはあるだろう。

 

よくよく考えてみれば、あの人だって、何かに縛られている。

子どもの進学先の下宿を探す際、まあ母が付いてくるのは当然として、そこに普通、母の母も付いてきますかね?

いくら土地勘があるからといって、そこに祖母が付いてくるケースって滅多にないのではないだろうか。普通は母と父の組み合わせでしょう。

成人の日の着物だって、祖母が用意するものなのだろうか。

仕事や、パートナー、そういうものって、祖母が見繕ってくるものだったかしら。

 

私がね、自分一人では何もできないような、消極的な子どもだったせいもある。そしてそのまま年だけ重ねたせいもある。

でも、ここいらでしゃしゃり出てくるのが、祖母ってどういうことだろう。

それまでは、祖母は頼りになるなぁと思っていたくらいで、あまり気にも留めてなかったことだけど、気にしてしまうと、やはりおかしい。

 

でもね、なんだかんだ、私らの家系は真面目で絵に描いた優等生。

母だって、長女だけあって、とても忠実というか。祖母にとって母はよくできた娘だったと思う。

きっとね、大人になって、嫁に出てしまってからも、その結びつきは他の姉妹よりも強かったのではないかと思う。甘いのは末の妹さんにだけど、あの人は大阪の方に嫁いだくらいだから、性格的にも結構キツイところがあるもので。

その点、祖母の地元で素直にお見合いして、公務員と結婚してくれた長女の母は、行ってみれば祖母の言いなり。扱いやすかった娘だったのだろう。

そしてしまいには、私の人生のあらゆるところに、母を通して祖母が干渉してきた。

それを母はどう思っていたのかは分からないが、「祖母の言うとおりにしていれば、幸せになれる」という価値観は、母から娘である私にまで受け継がれていった。

だから、こういうことでもなければ、私も母のようになっていたかもしれない。

というか、多分そうなっていた。

何もなければ、祖母の言うとおりに、どこか知らない人とお見合いして、結婚していたかもしれない。

母は、決して私に積極的に介入してはこず、母が何か動く時、大抵は裏に祖母がいる。

母はその橋渡し役、といったところか。母を通して、母2号になるところだった。祖母の最高傑作の。

 

そして、その通りになっていれば、それはそれで幸せだったかもしれない。

夢から醒めなければ。気付かない方が、幸いなこともあるよ。

でも、いろいろなことがあって、そんな夢のような展開から醒めて、もう永遠に手に入れられなくなって。

今まで、何も思わなかった親に対する不満というか、小さな苛立ちが芽生えてきた。

目に見えて分かりやすい反抗期が来なかった私が、そこではじめて反抗期を迎えた気分だ。

こんな風になってしまった娘に対し、母は大いに戸惑ったことだろう。

でも、多くの親は子が10代の内に経験していることなのだ。

その苦労をしてこなかった分のツケを、今払っているのよ、母よ。

 

ね、上手くいかないもんでしょ、人生って。

そういうことに気付かなければ、今頃、孫に囲まれていたかもねぇ。

むしろ、言うことを聞かない奔放な末の妹さんの方が、40代にして2人の孫を持つおばあさんになっているというのに。

本当、上手くいかないものよ。

 

これまで順当に生きてきた娘が、就職せず、どうにか始めた仕事も突然辞めて、今もまた仕事を辞めようとしている。

真面目だったのに、いい子だったのに。そんな叫びが聞こえてきそうだ。

(手のかからない子は、大人になってから大変に手がかかって何倍にもなって帰ってくると噂で聞いた)

だからね、私は私の、親が抱いてきたそういうイメージをぶっ壊したい。

そんなつもりはなかったけど、結果的にそうなって、今は積極的にそう思っている。

自らの人生を犠牲にしてね。

幸せになりたいと思うのに、なりたくないと思うのは、そういうことなんだろう。

 

これじゃあ、いつまでたっても幸せを選べないわな。

だからこそ、自ら幸せを掴みにいった友人を、本当に心から尊敬するよ。

 

ストールを羽織ろう

今まで、実はちょっと憧れていた、ストールを首に巻くのではなく羽織るやつ。

しかし、秋が到来したかと思えばすぐに冬。おまけに朝晩の自転車は冷えるため、すぐにコートに入ってしまう、寒さに弱い自分。

ですが。

思い描いていたような素敵なストールが売っていたので、やってみたいと思い立ち、買いに走ってしまった。

いやー、お店で見かけて、似合いそうな友達にあげたいなーと近づいて値札を見た時、人にあげるには、まあまあな値段だったので、自分用に購入したのだ。

 

今の気候なら、軽いジャケットを着るよりも色があって、なかなかいいんじゃない?

ちなみに色はブルーとブラウンのチェック。羽織るには、派手すぎず、かといって地味でもない。

秋の色としても問題ない、そんなやつ。

ウールなため、多少の肌触りは気になるけれども、首に巻かないのだから問題はない。

最近は私服でも、これまでとは少し違う「着こなし」に興味があるので、そういう新たなチャレンジには素直に乗りたい。

個人的には、こんなストールにはパンツ、頭にはキャスケットを合わせてみたい。

もちろん、サングラスがあってもよい。

こんな着こなしは、これまでの自分にはなかったため、なんというか、30代の余裕って感じだ。

お財布には余裕がまるでないのがさみしい。

 

しかし、こんなにも急に秋が到来してすぐに去っていく世の中では、こうした遊びすらやりにくい。

秋と言えば、収穫の季節であり、その喜びの季節よ。1年の頑張りが成果を結び、喜びあう季節なのに。そして冬に向けて蓄えるのが、本来の秋という季節でもあるのに。

まるで「今のあなたたちの生活には、秋なんていらないでしょ?」とでも言われているかのよう。

奪われる秋。

現代人を見捨てないで・・・

 

体型の母さん化

夏、2年以上ぶりに見た友達は、以前会った記憶の中の彼女よりも、えらく腕が太ましく見えた。

年齢、いわゆる「母さん感」を、そこに見た。

しかし、私らももういい年齢。記憶の中の我々のままではない。常に変化に晒されている。

たとえ母さんになっていなくとも、母さん感がそここかしこに出ていても、決しておかしいことではない。

 

私の場合、主に上半身の母さん感が色濃く出ている。特に胸回りと、二の腕周り。

ものすごい厚みと太みだ。

以前、写真を撮った時、そのあまりの体型に現実逃避したくなった。

 

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とある夏の日の写真

ちなみに、これはロングスカートです。決して膝丈スカートではない。すぐ下に足首があります。背が縦に伸びなかったため、ロングスカートに迫力がない。

手元のさ、少し筋張った感じや手首の細さと比べても、胴回りの豊かさが目立つでしょう。

というよりも、胸の位置が低く、胸の脂肪がお腹の脂肪に見えてしまうせいもある。身長の低さ故、どこからがウエストなのか、服越しで判断がつかないためだと思われる。

いやあ、楽な下着なものでね。

 

いや、胴体付近は年関係なく逞しかったのではあるけれど、こうやって客観的に突きつけられると、目を覆いたくもなる。

これでもちょっとは運動してるんですけどね。痩せていくのはいつも下半身だけ。

体重の数値からは想像もできないくらいの肉感。前に測ったら43キロだったんですがね。。数値だけ見たら、痩せすぎで注意喚起が入ったのですが、そんなバカな。この頼りになる体型を見てから判断してほしい。

数値なんて、まったく当てにならないことが、これで分かるでしょう。脂肪は軽いのです。

 

スマホの小さな画面で、つい素晴らしいモデル体型の人間や、同じ背丈でもモデル張れるような一般人の画像ばかり見ているため、つい、人間の体型ってこういうもんだよねって脳が思い込んでしまっているよ。

だから自分の姿が写ったものを見ると、まあ、受け入れられないものがあるよね。

ま、だからこそ、洋服で少しでも違和感を消したいんだけどさ。

着るものによって、これが多少は改善されるのだから、着るもの「選ぶ」ことって大事。

でも、夏の紫外線防止のパーカーなどは便利だから、つい着てしまうと、どんな服を着てもこうなってしまう。

さらに、こんなに豊かなのに、市販の洋服はどれも大きすぎるという、この矛盾に困惑している。

数値と相まって、自分が細いのか太いのか、大きいのか小さいのか。変な写真を撮ってしまったものだ。

 

本当に、皮膚科は混んでいる

ニキビという名の尋常性ざ瘡の塗り薬をもらうために、再び皮膚科に行ってきた。

夕方のためか、スーツや仕事着であろう服をまとった大人が多かった。中学生もいた。

本当に、皮膚科は盛況だ。どの時間に行っても、待合室には人でいっぱい。

待っている間でも、次々に患者が来院し、新規の予約希望客も入ってくる。

年齢は、小学生から上は70前後の爺さんまで。一体、みんな、どんな皮膚疾患を抱えているのだろうか。

ニキビや水虫、アトピーに加え、これからの季節は乾燥だろうか。

消毒をしすぎて、かぶれている人も多いのだろうか。

あるいは、ストレスやマスクで、顔回りが荒れに荒れているのだろうか。

室内ではマスク着用が求められているため、顔が見えなくて、なおいっそう何の症状なのか見当もつかない。かといって、ニキビ面が一室に集まっているのも、それはそれで怖い光景だが。

本当に、皮膚科は儲かると思う。うどん屋、牛丼屋に次ぐ回転率だと本気で思う。

 

今日、医院に行くために自転車を漕いでいると、高校生くらいの女の子が自転車を向こう側から漕いでいたのだけど、その子の顔はニキビで真っ赤だった。

肌の白い部分がほとんどなくて、赤く腫れあがったみたいになっていた。

かわいそうに。

病院に行けば、いい塗り薬を処方してもらえるよ、と。

私も中学時代、ニキビにあふれた顔面をさらしていたけど、今思えば、ちゃんと病院で治療をしていれば、跡が残ることもなかっただろうに。


まだ10代の子には、病院に行くという選択肢が浮かばないのは仕方がないが、私が親なら、医者に連れて行くのに。

これでも、小学生の時にニキビで皮膚科に連れていかれ、額に広がったものを全て先生が潰していった過去を持っている。幸い、そのおかげで額にはそれ以後、ニキビはあまりできなかったものの、代わりに頬や口元への広がりが凄まじかったが、結局病院には行かなかった。

さすがに、頬ニキビは潰さないだろうが、せめて薬でももらえていればよかった。

 

思春期の最中に大量にニキビが出現する子がいる反対で、全く出ない子もいる。

毎朝、冷水でさっぱり洗顔しただけで、綺麗な顔を保てる子もいる。

(私だって、毎朝石鹸で洗ってたのに、これだよ)

ということは、別に大量のニキビにいちいち付き合ってやらなくてもいいってことだ。

洗顔を変えるより、さっさと薬をもらってこれば、簡単に治るよ。となれば、ますます皮膚科は盛況になるなぁ。

とはいえ、できた部位にちょちょっと塗っておしまい、ではなく、1年くらい毎日塗る必要があるから、ある程度の根気は必要だが。副作用も出ますし。

 

今回、2段階目の薬に移行したのでもらった小冊子の表紙。

なんか、楽し気な雰囲気であった。

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たのしそうな小冊子

・・・繋がされているようにも見える。