前回の友人の家に行くと基本は適当に喋ってるんだけど、よくおもちゃの開封だったり、大食いに挑戦している動画を背景に流している。
友人の趣味らしいけど、最初は分からなかった。
おもちゃの開封はともかく、人がメシ食ってる姿を見て何が面白いのかと。
しかもそういう動画に限って実は超人気だったりする。
大食いは、数字を取れるのだ。
(弟も、女の子がご飯作って一人で食べてる動画見てたわ)
確かに、一人で虚空を見ながら食事をするよりは、誰かが食べているのを見ながら食べた方がいいのかもしれない。友人は一人暮らしだし。
誰かと食べている気分を味わえるのか・・
と思いながら、実は私も過去に一人暮らしをしていた頃(10年前)は、録画していた「サザエさん」の食事に関する回をいつも見ながら食事していた気がする。
うなぎ回とか、マスオの昼ご飯回とか。
今でも、グルメ漫画を読みながらご飯を食べたりする。
多分、そういうことなんだろう。
共有、ではないけど、食事の映像やイラストを目で見ながら自分も何かを食べることに、「一緒に食事」を超えた何かしらの喜びや快楽があるんだと思う。
そういや、美味しそうに食べてる人を見るのが好きって人は、一定数いるよね。
おもちゃの開封動画に関しては。
最初は、ああいうのを見て、親御さんが子どもに買ってあげるおもちゃ選びの参考にするんだろう、くらいに思っていたけれど。
ちがう。
それもあるけど、そもそも人様が買ったものを見ることに、人は謎の快楽があるのだと。
それは、自分では得られない買い物だからなのか、普段倹約するからこそ大量購入している人を見ることで発散されるエネルギーがあるのか。
そもそも、買い物とは「もの」が欲しいのでなく「買う」という行為を目的にやっているのか、分からない。
単に「もの」が欲しいという所有欲を満たすだけなら、人が買ったものになんて興味も湧くまい。
自分のものにはならないからだ。
しかしそうでなく、人が買ったものを見て満足できる心があるってことは、「もの」が欲しいのでなく、「体験」として買い物を求めているのか。
まあ、一種のストレス解消の意味もあるだろう。
人はストレスがたまると、よく分からないことにエネルギーを向けたりするものだ。
まあ、別にいいんだけど。
そんな性癖を刺激する宝庫、YouTube動画。
私も好きだけども。
改めてYouTubeなんかを見ていると思う。
そうやって発信してる人ってのは自立がすごいできてるんだなってこと。
(←私が最近、何かを評する時に見る視点です「自立」)
だって、自分の好きなものを自分で動画にして世界に向けて発信なんて、並大抵のことじゃないよ。
自分は○○が好きですー!!って、世界に向けてアピールしてるのよ。顔まで出して。
それって、すごく恥ずかしいことじゃないの。
よほど自信とか、何かしらの思いがないと、なかなかできることじゃないよ。
自分はこれができます!こういうのが好きです!って、堂々とアピールできるのが、うらやましかったりする。
ね、実はみんなも、心の奥ではそう思ってるでしょ。
迷ったり、不安になったりすることもある中でそれを続けられるのも、自分という軸がちゃんとしてるからなんだよなぁと。
雇われてる場合だったら相談できるからね。
足りない部分は補い合えばいいし。
そういう意味では、やっぱり1人企業の社長なんだよね。
理念があって社会貢献があって、戦略やらマーケットがあったりして。
そこに技術なんかも加わってきて。
一人で番組を作って発信するって、すげぇことだなと。
ある意味、誰もが社長になれる現代。
しかし、それを続けていくのって1人だからこそ相当難しい。
尊敬しまーす。