時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

柔軟性こそ重要だ

子どもの頃から運動神経がよかった。

幼稚園の頃は体格がよく、鉄棒や縄跳びを教わっていたのと相まって走るのも速く、球技もまあまあできた。

しかし身体が硬かったので、マット運動だけはいつまでたっても苦手なままだった。
(側転、倒立共にできなかった。倒立なんて、失敗して頭から落ちた経験がある)

大人になって身体を動かすのが好きになり、土日のどっちかはジョギングに出かける。

しかし、それでも身体の硬さだけがウィークポイント。

大人になればマット運動なんてやらないけれど、身体の硬さが腰痛、四十肩といったトラブルを生む。

50代の叔母が一瞬五十肩になりかけて、現在軽度のヘルニア発症と側弯症持ち、その結果、足底筋膜に異常を生じ、以前のように満足に歩けないという近況を聞いてると、やはり身体が柔軟性を持つことの大切さを嫌でも知る。

これら全ては身体が柔軟性を欠いた頑なさから生まれるものであり、私もそんな身体が硬い一族の一員。

ちょっと自分の身体を見直す時が来たのかもしれない。

フォームローラー

こういうのも買った時期もあるけどね

そんな折、ジェフのパートナー・エミリーの動画を見て、その柔軟性かつ美しい肉体に惚れた私は、入浴後のストレッチを再開することにした。

昔はやってたけどね。

わざわざフォームローラーまで買って。
それが続かなかったのは、単純に床に敷いた絨毯がペシャンコになるのが嫌だったからさ。
狭い日本の住宅に、ローラーは向かない。

この世において、唯一自分が自由にできるのが、自分の身体である。

エミリーを見ていると、自由に動く身体というのは何をやっても美しく、何を着ても美しい。
服というのは、体があって初めて成り立つものだと思えてくる。

そして自由な身体こそ、自由に生きられる主体だ。

風呂上がりのストレッチをたった数日やってみて、分かったことがある。

柔軟性こそ、生きている証である。

その証拠に死んだら身体は硬くなる。

生きているのに硬くなり始めたら、そりゃ身体は死に向かい始めるというか、不具合を生じやすくなるのは当然の話だ。

そういえば私はジョギングから帰ったり、仕事から帰ってきた時の自分が最も好きである。

これは外の空気を吸って気分や波動が上がったからというのもあるけれど、身体が柔軟になっているからという可能性もあるのでは?

家で一日中いると、私の場合どうしても気分が上がらない。

だから必ず外には出るように心がけているけれど。

これは気分だけの問題ではなく、家にいると身体が硬いままだからなのかもしれない。

入浴すると気分が変わるのも、身体が最も柔らかくなる(緩む)瞬間だからかも。
マッサージをして体を緩めると、痛い症状が和らぐように。

今まで気にしたこともなかったけれど、柔軟性が如何に生活のクオリティを上げていることか。

世の中、「気の持ちよう」「病は気から」という言葉があるけれど身体も同様に大事だと思います。

身体が不自由してないからこそ、心も安定する。
これは過去、突然歩けなくなって外に出られなくなった経験からも分かるところ。

もっと自分の身体が自由になれるよう、柔軟性を高めようと思った。

あくまで鍛えるのはなく、伸ばすことに意識を置いて。