実は10年前に一度読んだ本である。
藤原正彦氏の「日本人の誇り」。
とはいえ、その当時これを読んでどういった感想を持ったのか、そもそもなぜこの本を読もうと思ったのかも分からない。
基本、本は借りる主義なのに対して、これは新書だけど購入してた。
発売当時2011年、私が大学生だった頃。
内容はね、一言で言えば難しすぎる。
スルスル気持ちよく読めるような部類ではない。
簡単に説明すると、日本の歴史の本。近現代史を書いた本です。
これがまあ、難しいのなんの。
ペリー来航から始まり、如何に日本は戦争から逃れられなかったのか。
そういうことを書かれた内容なので、一言一句を読むのが苦痛だし、読めても頭に入らない。
夢中になって読める類でもない。
読み飛ばしたくなること請け合いだ。
でも、なぜ今頃になって感想を書こうと思ったのかって言うと、色々考えるべきところがあると思ったから。
タイトルが「日本人の誇り」というものですから、日本人について書かれたものです。
あのね、私は10年前に読んだから、その当時、これを読んで素直に何を思ったのかは分からない。
でもこの本を読む以前、日本という国を「誇らしい国」だと思うかと言われたら・・・
正直、イエスと言えない部分があったことでしょう。
(今でも、誇らしい国かと言われたら・・)
内側にいるからこそ、その嫌な部分が目につきやすいのかもしれないし、謙虚さがそうさせているのかもしれない。
そうでないかもしれない。
でも、10代後半であっても「日本は素晴らしい、誇らしい国だ」とは思えなかった。
いかがですかね?
皆様、日本という自分が生きている国をどう思われます?
事実、日本は他国と比べて、国のために戦いたいだとか、そういうランキングでは下位の常連らしいですよ。
著者の藤原氏は教授であったけれど、ゼミの学生に問いかけると「日本は恥ずかしい国だ」という寂しい答えが毎回返ってくるのだという。
それはなぜか。という部分に焦点を当てた本だと思います。
まず知識人の多くが、疑ってかかる物の見方をする人だってこと。
難しいけど、「自分ってすごい!」と周りに言いまくる人間よりも、自分はこんな悪い所がある・・・と言う人の方が、なんとなく賢そうに見えるってことですかね。
だから、「日本はこんないいとこがあるよ!」って外国人から言われても、「いやいや、そんなはずはない!」と全力で否定しがち、なのかもしれません。
その方が、分をわきまえているというか。
なんか知的っぽくない?
素直に受け取るより、そうやって否定してる方が、なんか日本人っぽいでしょ?
というか、個人レベルでも褒められ慣れてないとも思うんだわ。
あとは、近代史の歴史観の問題。
これは私の印象だけど、日本は国が愚かだったから戦争を仕掛け、原爆によって負かされた、みたいな。
確かに、「もう二度と戦争はしません」という毎年のメッセージを鑑みると、なんとなく日本が悪かったから原爆でお仕置きされた、みたいなイメージが付いているのかもしれません。
確かに戦争をやってしまったことは、誇らしいものではないかもしれないけど。
この本で言われていることで大事だと思ったのは「現代の物差しで、当時を考えてはいけない」ということ。
そりゃ現代からしてみたら、そもそも戦争をしていたという事実自体、情けない、愚かだと思えるけれども。
当時の人間は、当時の世界情勢、生活の中で精一杯生きただけで。
本当は、ただただ自分の家族を、祖国を守りたかっただけかもしれない。
どの国の人も、それだけだったかもしれない。
そもそも周りの国が当たり前のように戦う中なら、そうやって武力で解決するのが当たり前だった可能性も。
現代の我々が、現代の基準を持って過去の人々の行いに評価を下すものではないのかもしれません。
あと改めて近現代史というのは、日本という国だけで語ることは不可能だなって思った。
いろんな影響がいろんな所に出てて、複雑に絡まっている。
正直、教科書だけで理解するのは全く不可能だし、その背景にあるもの、その影響が他国にどんな影響が出たのかも、分かることは全然できません。
まあ、詳しい内容は理解できてないから書けないので、興味があれば読んでいただきたいです。
ただまあ、私がこの本を10年ぶりに読んで思ったのは。
自分が住んでいる国、土地を誇りに思えないというのは、ちょっとヤバいかなってこと。
そもそも恵まれた平和な国。食も美味しい。
ありがたいと思うべきなのに、なんでだろう。
それができてない自分がいるわけですよね。
かつては美しかった集団愛だったり、他者を思いやる心も。
マイナスに捉えられることの方が多くなったのは、気のせいではないでしょう。
これは、外国の影響なんでしょうか。
海外から船が来るたび、どうにもできない流れの中に日本は飲み込まれてゆく。
でも、もうどうしようもないじゃん。
グローバルで、世界みんな仲良くやろうな!という流れの中で、
「日本だけはこうしたい」
「他国のやり方を当てはめるな」
なんて主張、日本にできます?
いつだって、外国にヘコヘコしてる日本が?
どうしていいか、分かんないじゃん。
恵まれた国のはずなのに、どうしてこんなに苦しい人がいっぱいなのか。
なんで、電車と接触事故起こしちゃうのか・・
なんで、閉じこもってる人間がこんなにも多いのか・・・
祖国に愛を持てないからなのか。
国を愛してると言えば、即座に「愛国心」だと恐れられ、そんな日本を恐れたアメリカによって、日本の魂が抜かれてしまったからなのか。
でも、生まれた土地を大事に思うのも、別におかしなことではない。
国を愛することを、英語ではパトリオティズムというらしい。
(かつての「愛国心」は、それとナショナリズムとが一緒になってたもんで、愛国心を「危険だ」と否定されたらパトリオティズムの方も消された、と藤原氏は主張しています)
誰だって、自分の国を大事に思うの当然の感情だ。それは、故郷を愛するのと同じ。
(それとも、国と故郷は別物ですか?
たしかに国となると、土地というよりも外交のイメージがつきまとう)
だけど、なんか手放しに「誇らしい国だ」と思えないのは、なぜだろう。
え、自分たちの国なのに、外国の人が昔作った憲法を大事にしてるからだって?
とにかく読むのに苦労する本です。
10年ぶり、30代になって改めて読んでみたけど難解だわ。
最後に、読み始めてずっと気になっていたことを書きます。
私の思っている価値観、考えと言うのは本当に私のものなんですかね?
自分の意見だと思っていたことも、もしかしたら誰かの言った意見かもしれない。
どこかで見聞きしたものかも、学校で習ったことかも。
それって、本当に自分の意見だって言えるのかしら・・・
私は自分の意見を持っていると思ってきたけど、それは誰か他の人間の言葉なんじゃないか、いくつも読んできた本から採用した言葉、意見なんじゃないだろうかって。
じゃあ自分の意見はどこから生まれてくるんだろう。
今こうして思って書いてることって、本当に自分の意見?感想?
自分の思考が毒されてないなんて、誰が分かるのだろう。
所詮、自分の思考なんて、誰かがかつて言ったことの集合体でしかないのかもしれない。
『日本人の誇り』 藤原正彦