さて、前回福山へ行く途中に偶然にも持参していた本『まじめの罠』。
元々は勝間さんの本を読んでみようと思い、3冊ばかり借りた中にありました。
(たまたま一番薄かったから持って行った)
さて、前回の記事でも書いたとおり、まじめの罠にハマったが故に、とんでもないことをやってのけたというのがヒトラーの部下であったアイヒマン氏だと言われている。
裁判では「自分は命令に従っただけで責任はない」的なことを言ってのけた人物だそうです。
まずね、この本で言う「まじめ」とは「与えられたものに疑問を持たず、逆らわない」という意味だそうで。
まあ従順というやつですかね。
これに当てはめると、私はまじめではありません。
上からの命令に抵抗しますし、意見もします。
「流れには、まず逆らえ」というのが信条です。単に、へそ曲がりなだけです。
私がたびたび使う「真面目」という言葉は、分かりやすく言うと。
学校の平和学習という授業に対して、真剣に話を聞き感想をしっかりと書くタイプ、ということです。
不真面目とは、このとき「これ幸い」と内職したり眠ったり遊んだりするタイプのことです。
ですので、この本に登場する「まじめ」とは意味が違いますことをご了承ください。
勝間氏の言う「ふまじめ」も、決して迷惑をかける輩だとか、努力を怠る輩ではなく、
「自分で考えて行動できる」という意味に近いでしょう。
ここらへん、言葉の定義を間違ってしまえば話は全く違うものになります。
私もまとめるのは得意ではないので、いつもの通り分っかりやすく言いますと。
まじめな人は、上司や上の存在をとにかく信頼しているよ。
というのも、とりあえず従ってさえいれば、リスクや責任を回避することができるからね。
「上司の命令に従ったので、私の意志ではありませんでした」なーんて言ってしまえるからね。まるで自分に責任はありませんよ、みたい?
だから、その信頼している「上」がとんでもないことしてしまえば、途端に大バッシングも厭わない。国民は簡単に手のひら返しするよ。
そんな国民もまた、政治家にまじめな人を選ぶよ。親近感がわくからね。
政治家も、その期待に応えるために地道な努力ばかり(挨拶周りとか)で、政治という本業をおろそかにしている節があるよ。
まじめな人はリスクを取りたがらないから、まあリスクを取らないような政策ばっかで、失敗したら大バッシング、やっぱりそれが怖くてなんにもできません。
だったり。
(何もしない内閣の方が、評判がよかったり・・・似てるからか?)
これが一般企業でだと、無駄が多いと分かっているけど、これまでのルールに従ってやってるってことよ。
もはやルールを守ることに忠実になりすぎて、そこに意味を考えないよね。
新しいことはリスクが伴うし・・・と弱気になれば、そりゃあ海外に遅れを取ったりね。あと、新しいことを恐れて排除に回ったり。
なんでこんなことになるかっていうと、そういう教育を受けてきたせいだって勝間氏は主張しているみたい。
先生や親に素直に従う子ばかりが、いい待遇を受けるのを肌で感じて育つのですから。
とにかくまじめに従う忠実な人間を育てあげることが、日本という国においての目的でしたから。
まあ、国力落ちますけどねー
まあ、そんな難しいことは考えなくても、「え、これ何で?」とか「おかしくね?」っていうことってありますよね。謎の校則とか、よくニュースになってるし。
それに対して、組織の中にいる人達は疑問も持たずにルールだからという理由で、子供たちを縛っている。
それを周りで見ている保護者や生徒たちが「おかしい」と声を上げる図、みたいな。
先生たちは、まじめに上が決めたルールに従ってるだけなんですーということなんですよ、多分。
そういうのを勝間氏がおっしゃる「まじめ」さんなんです。
それに疑問を持ったり傷つく子どもがいるのもお構いなし、とにかくルールや上司に従ってさえいればいい、疑問すら持たないというのが、氏の言う困った「まじめ」なのです。
これが校則ならまだいいのですが(よくないけど)、偽装だとかですね、そういうことをやって、犠牲になる人も出てるってことです。
自分がやってることに、ちょっとくらい疑問とか持ちましょうよ!と主張しているのが、この本の主張だと思います。
決して私が言う「平和学習に真剣な生徒」が氏のいう「まじめ」ではないことだけは確かです。
もっとも、氏の言う「ふまじめ」とは、その平和学習の内容すらも多角的にとらえて自分の意見を発する者と言えるかもしれません。
ああいう映像作品というのは、作り手の意図が必ず入っているものですから。
まあ、「ふまじめ」とは頭がいい、要領がいい、だからこそ「ずるい」というのが国民感情だと思いますね。
この「ずるい」とは、「自分らは時間をかけて努力してるのに(短時間で成果を出す奴が許せない)!!」という感情が底にあるのでしょう。
長時間労働が是正されないわけです。とんでも根性論。
もし「それは違うよ」という勝間さんがいらっしゃいましたら、ご連絡お待ちしております。
『まじめの罠』 勝間和代