時にひきこもる思考

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ホロコースト記念館を訪ねて①

今回は記念館を訪ねたので記録に残します。

広島県福山市にある、とある記念館。その名も「ホロコースト記念館」。
名前からお察しの通り、ドイツがかつて行ったユダヤ人迫害を取り扱った記念館になります。

元々こういった歴史には興味があるので向かった次第です。

さてこのホロコースト記念館、福山という、なんともまあ神社仏閣の多い地域に立地しておりまして。

最寄り駅はJR「横尾駅」という無人駅。
そこから歩いて15分程度なのですが、今回は手前の福山駅で降りて1時間かけて向かいました。

福山駅そのものは、まあまあお店が入っている比較的大きめな駅です。あの辺ではよ?
ここで下りる人、乗る人は多かったくらい。

そして、この辺りは博物館が目立ちます。

自動車時計博物館

こんな博物館や

まちづくり博物館

こんな博物館があったりする

しかしそこも通り抜けて、記念館に向けてさらに北上してゆきますと、途中坂の上の高校を通り抜け住宅街を抜け、どんどん田舎の風景になってゆきます。

田舎の光景

たまに自転車の高校生とすれ違うくらい

歩いている人間は皆無。
のどかな田んぼを経て大きな川を横切りますと、不自然に見えてくるのが記念館です。

異質といってもいいでしょう。
正直、なぜこんな辺鄙な場所にこんなものが?というのが訪れた人の素直な感想だと思います。

川を挟んで、いきなり現れるのですから、アンネの写真が出てなければ、それと気づかなかったでしょう。

ホロコースト記念館の門

本当に、唐突にあるのよ

ホロコースト記念館

この場に似つかわしくない建築ですね

見ての通り建物は新しく、小綺麗な感じ。ガラスの壁から中の様子が覗けます。

中に入りますと、一見無人に見える右手の事務所から、スタッフと思しき男性が出てきました。

「15分ほどの館内紹介ビデオを見られますか?」

時間はあるので肯定し、部屋に案内されます。

いくつか椅子が並べられた、小さめのホール。
スクリーンにビデオが上映されます。貸し切りだぜ。

館長なのか誰なのか、初老の男性が説明に入ってくれます。
「ここは~、~を感じてみてください」

そんな感じでゆっくりと真剣に喋っています。

上映ビデオ

真剣な説明が入ります

このビデオで知ったことですが、ここを建てられた大塚さんという方は、元々牧師であり、海外を訪れた際に偶然にもアンネの父、オットー・フランクさんに出会ったことがきっかけで、ここ記念館を作られたのだということ。
交流があったみたいですね。

彼は悲惨さではなく、いつも平和について語られていたのが印象的だったと。

 

さて、展示は撮影不可なので、写真はなしです。

内容としては、当時のドイツについて時系列で紹介されており、アンネ一家が隠れて住んでいた「隠れ家」や収容所については、模型を見ることができました。
(アンネの隠れ家には、シルバニアファミリーの調理道具が使われていたことを、目ざとく発見した私)

そして、助けを求めたユダヤ人を救った外国人の紹介もありました。

当時、そこに収容されていたユダヤ人が着用していた青い縦じまの服も展示されてました。
一見パジャマみたいですけど、思った以上にしっかりした生地で、縫製もまあまあだな、という第一印象。まあ、作業着ですしね。

アンネ・フランクについては小学校で習うかと思います。

私もアンネの伝記を読んだのは小学校3年生。
もちろん基本的な知識はありますが、改めてに展示で学んだので説明しますと。

当時のドイツは第一次世界大戦で敗戦国となり、多大なる借金を背負っていました。

その関係か、とにかくお金の価値がゴミ同然になり、失業者が町中にあふれ。
それはもう、とんでもない数でした。

そうした人々の不満と不安から、「ユダヤ人が富や仕事を独占している」的な話を人々は信じてゆきました。
ナチスという政権も、ユダヤ人こそが敵だと言い、ドイツ人から徐々にその人気を集めていたそうです。

そしてヒトラーが首相になった時、「排除せよ」という迫害の流れに。

おそらく、そんな感じだと思われます。歴史的な流れとしては。

私は、ユダヤ人が「ゲットー」と呼ばれる居住区に住まされて隔離されていたことを初めて知りました。

裏庭へのドア

アンネ像が裏庭に飾ってあるよ

あとは知っての通り。

強制収容所に連れていかれ、そこで強制労働や虐殺をされた、という話。

アンネは隠れ家で住んでいたけれど密告によって、大量のユダヤ人と共に3日間列車に乗せられ連れていかれた、と。
下りることはおろか、食事も水もなく、立たされたままだったそうです。

収容所ではとにかくいかにユダヤ人を殺害するか、が念頭に置かれていたらしく、いわゆるガス室での毒殺が行われていました。

その模型があったのですが、地下へ降りる階段があって、そこで衣服を脱いで地下に降り、そこで地上から毒を流して殺害、そのあとは死体処理として大量の焼却炉があったとのこと。

ガス室が地下にあったことも、初めて知ったことでした。
ずっと、地上にあるものだとばかり。

そうか、地面の下で亡くなったのか・・・と、地上ですらなかったことに、うん、なんとも言えないです。

アンネはそこでも明るく前向きだったみたいだけど、姉が蔓延してた病気で亡くなった後に間もなく、という感じでした。

マロニエの木

アンネの家から見たマロニエの木の2世

まあ、こういう歴史は嘆くためではなく、学ぶためにあるのですが。

素直な疑問。
「なんでこんなことを?」

展示を見ながら、ひたすら唸りました。

展示数はそんなに多いわけではなかったけれど、暗い気持ちなったというよりかは、「なんで?」という疑問が次々に浮かびます。
冷静な立場である私らからすれば、それはもう疑問しか浮かびません。

人が人を殺すという、いえ、大虐殺です。
家畜を食べるために、というのではなく「ただ気に食わないから処分」そんな風に思えます。

え、そんなことする?そこまでする?
なんのために?

実行した人々は、そんな疑問など浮かばず、それが自分の正しい仕事だと思い込んで
実行に移していたのでしょうか。

いくら戦争といっても、そこまで人の道から外れたことができるものなのでしょうか?

続きます ↓

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