時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

ホロコースト記念館を訪ねて②

前回の続き
ホロコースト記念館を訪ねて①

実はこの記念館に向かっている途中、本を持参してました。

これは偶然です。数日前に借りた本「まじめの罠」という勝間和代氏が書いた新書。

これも感想は後で書くけど(感想文「まじめの罠」)、実はこの本の冒頭で「最もまじめの罠にハマった最悪の人」に、ヒトラーの部下だった「アドルフ・アイヒマン」を挙げられている。

彼は上の命令に忠実過ぎたことから、結果600万人ものユダヤ人を死に追いやりました。
(これを道中の電車で読んだもんで「自分これから、そこ行くやん」と自分に突っ込んだ)

裁判で彼は言った。
「自分は、命令に従っただけだ」と。

上司が「やれ」と言ったから、それに従ったまでですって。
それがどんなにおかしいことなのか、気付かなかったみたいですよ?
気付いていたとしても、まじめに業務を遂行したってことですか。

これは上司の命令だって。

 

ドイツ国民はどうでしょう。

先にも述べた通り、国民は景気の悪さから不安と不満を抱えていました。

そんな状況の中で「すべての原因はユダヤ人にある」とささやかれたら、それが国民の一般常識となっていたら、そこに疑問を持つ人よりも、賛同する空気に呑まれた方の方が多かったでしょう。

空気は個人の思考を支配する。
まさに、そういうことが戦時中は普通に行われていたのかもしれません。

異を唱える者が捕まることは、当時日本でもありましたよね。
国民が国民同士を監視し合っていたり。

ある意味、我々が過去や歴史を学ぶということは、そういった空気からとんでもないことが起きた。それを知って、いざ、そうなりかけた時に気付くためではないの?

別に悲惨な過去をただ嘆くだけでなく(子供はそれでもいいけど)、どういった流れからそういう事象が起きたのか、それを学んで「もしも」に備えることこそが、歴史を学ぶ意義だと私は思うんだけど。

正直、年代や年号なんて。

そういう教育をずっとやっている日本の在り方には疑問しかないけど、こうやって「気付かせない」ことで、風潮にあおって支配することを、これまで国という組織はやってきたということでしょう。

 

こういう展示を見ていると、本当にとんでもないことを平然と行われていたんだな、しかも近代の歴史の中で!という感じです。

人が人を、そうまでして虐げる?
なかなか差別という感情が、日本で生活していると感じにくいことだけど。

そこまでするものなの?人間というのは・・?というのが素直な感情です。
私が神だったならば、もう呆れるしかない。

当時は戦時中。

そりゃあ、大量に爆弾を落として殺害してきた歴史はあるでしょうよ。
それ以前でも、合戦やらなにやら、色々あったことでしょう。

でも、何だろうな。
ホロコーストに関しては、うーむ。

そういう一時の何かでは済まないような、それも戦時中の空気?洗脳?
・・・私には分かりません。

もちろん、分からない理解できないで済ますようなものでなく、だからこそ理解できるように近づくものですが・・・

いやだって、600万人もの人間を、まるで処分するみたいに虐殺なんて、します?


でも、人が人を殺めるのは、実はそんなに新しいものじゃないんですよね。

昔っから人はそうだったし、そうやって生き延びてきた種族だし。

そういう残虐性というか、優位に立つために争う意思というか遺伝子は、確実に受け継がれているってことなんでしょうね。
だからこそ、過去を知る必要があるのだと思いますよ。真剣に。

冷静な立場に居られる人が「おかしい」と気付いて、何かしらの動きを見せる。
かつて手を差し伸べた方々が世界中でいたように。

もうねー、こうやってみると、やっぱり当時の周りの雰囲気に呑まれていない人が、
冷静に判断していくしかないような気がする。

ヒトラーだって、1人だったら何もできてなかったハズだもの。
それを応援してた人が大勢いたってことでしょ。
日本だって、そんなドイツと同盟組んでたんでしょ。

まじめもそうだけど、同じくユダヤ人を迫害した国の民だって、上の命令にただ忠実だったのでは?

国が「こうですよ」と言ったから、それに素直にうなずいて「そうだそうだ」と働きかけたに過ぎないのかも。
その結果、とんでもないことが起こってしまった。

いえ、ドイツ国民だって知っていたとしても、見ないふりくらいはできたでしょう。
何も見なければ、自分たちは安心の場所に居られるのだから。

もうめちゃくちゃだけど、戦争というのは、1人の意思だけでできるもんじゃないですよ・・・

とにかくね、こういう記念館というものは、そうやって立ち止まって考えるためにあるのだと思うし。
今回訪ねられてよかったです。
私もまた、考える機会をいただけたのですから。

ちなみに、なんでユダヤ人は賢いのに、こんなことになってしまったのか?というと。

記念館の本棚で適当に手に取った本によるとだね(タイトルは忘れた)。

元々交渉術に長けていたユダヤ人は、こういう暴力に訴えるやり方を体験したことがなく。気付けば呑まれていたって感じだったのでは?という。

危機察知能力が、ちょっとうまく働かないくらい、悪意のスピードが速かったということなんですかね?

 

はあ、頭使うと疲れちゃう。最後に、この日の総括ね。

この日、当日はまあまあ晴れててね。
暑いなーと思いながらも1時間歩いてたのだけれど、展示を見ている最中に豪雨が襲ってね。びっくりよ。

置いてあった本を見て、ふとガラス張りの外を見ていたら、たたきつける雨で外が全く見えなかったんだから。職員さんが、窓の外を茫然と見てた。
私はしばらく「ちびまる子ちゃんアンネ・フランク」という漫画を読んで雨が収まるのを待っていた。

すぐに手のひらを返したかのような晴天。

これを見て、爽やかな気持ちになってください。

雨上がりの光景

ほら、一気に爽やかな気持ちになれる

そんな雨と雨の合間に撮ったアンネの像を最後に。

アンネ像

頭上に光が見えるね

アンネたちが暮らしていた隠れ家を再現した部屋があってね。そこの壁にね、姉のマルゴーと共に身長を記録した線があって。(家の柱に線を引いてくアレ)

実はアンネ、身長が160センチを超えていたというのがこの日一番の驚きでした。

15歳の少女、まあ向こうでは普通なんでしょうけれど、それでも食事も満足に食べられなかったはずのに、そんなに伸びたの?と、思春期、おやつまで食べていたのに小さい自分にびっくりです。

アンネの写真

アンネ・・・
(実は高身長女子)

さて、晴れた後は横尾駅に向かいますが、地図で見ても、なんか遠回りなルートが表示されるばかり。

横尾駅までのロード

なんて爽やかなロード

穏やかな光景

立地は、本当にこんな場所

疑問に思いながらも向かってますと、確かに駅というかホームがあるにはあるんだけど、そこにたどり着けない。見えてるけど行けない。

駅側とは反対側だったので、線路を横切らないと行けないのに、その入り口が見つからない!

焦りながらも、え、これ大丈夫?と不安に思うような通路を通って、ようやく駅にたどり着いたら、素晴らしいタイミングで列車が到着。

すぐに改札を出て行き先を確認し、乗り込めました。セーフ。
逃したら1時間後ですからね。雨の心配もあるので、本当にギリギリでした。

さて、帰りの電車内では早速、「まじめの罠」の続きを読もうと本を開きました・・・

アンネのバラ

じゃあね