時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

社会学者の対談で、自分の性格を見直す羽目になった(古市くん、社会学を学び直しなさい!!)

古市さんって、テレビのワイドショーだとかそんなところで、よくお見掛けする方だと思う。

普段テレビを見ない私でも一応顔だけは脳裏に浮かぶ、そんな人。
一応、社会学者と名乗っているそうです。

しかし社会学とは、はてさて何ぞや?と本人も疑問に思ったらしく、それならば有名な日本の社会学者の方々に聞いて回ろうとした企画だそうです。

まさに十人十色。

経済でも政治でも説明がつかない社会の問題についてコメントを求められる、都合のいいコメンテーターだったり。一応、社会学というのは、自ら足を運んで情報を集める一次情報を得るのが仕事というか。

実は私も大学ではフィールドワークを主に行っている先生のゼミに入っていたので、社会学とはそういうもんだと思っていたけど。

今思うと、ただ図書館で文献を漁っていればいい学問を選ばずに、インタビューなどの現地調査が必要な学問に興味を持ったのは、一体どういうことだったのだろう。行動がまさに私の弱点であり、今世の課題なのに。

でも、この本を読んで納得。
社会学に向いている人は、性格の悪い人らしいです。

世の中の常識なんかに疑いの目を持って見られることこそが、社会学のテーマ起点だと、社会学者のどなたかが言ってました。

つまり、素直で何の疑問も持たない人間は、社会学には向かない。

私は、おそらく大学くらいから、変に周りの人が気にも留めないようなどうでもいいことに疑問を持ち始めてしまった。新書ばっか読んでたせいもある。
そういうことに頭を回転させることに抵抗がないような偏屈人間だったため(人によっては、これを「面白い人」と肯定的に受け止めてくれるんだけど、かなりの少数派ですね)、社会学に向いているタイプだったということです。

つまりは、性格が悪い人間なのです。というか曲がってるんだと。

だからこそ、社会学が提供するテーマというか、そういうのに興味を持っちゃったんでしょうな。
これが、大人しく源氏物語でも研究するような文学人間だったならば、仕事も続いているし、きっと早くにお嫁に行けている。

そういうわけで、社会学者ってのは、人に対していじわるな偏屈人間の集まりらしいっすよ。

まあ、この本の内容は、ひたすら社会学についてを社会学者を名乗る者同士が語っているわけですので、地味な内容なんですけど。以外と面白かったですね。難しい単語は全部スルーしましたが。

現代社会について、こういう方が考えられているのを読むのが割と好きなもので。
概念だとか古典だとか、難しいことはさて置いといて、日本という社会を考えるとおもしろいですよ。

「今は結婚するにも、活動が必要だ。まさに婚活だ!」と言い始めたのは社会学者の方でした。

当事者である我々は、自分のことだから、例えば最近話題になった「結婚しない若者」という議論(結婚しない人、できない人を一緒にくくってはいけないという主張)も、「は、当たり前だけど今更何言ってんの?」と思えるけど、「そうだ!」「確かにそのとーりかも。」なんて意見もあったことから、やっぱり当事者だけが一方的に分かってることってあるよなぁと。

問題は、支援する側、制度を作る側がそれを分かってない状態で、問題の表面だけ見て、分かった気でいることですかね。
(分かってないから、引きこもり・少子化・未婚問題悪化をたどるといった、全然成果のない結果に終わってる)

それをはっきりさせて、当事者と制度を作る側を繋いでいくのが、社会学者のちょっとした役割なのかしら、なんて思ってみた。

今は個人でも発信できるけど(そういう意味なら、みんなが社会学者の卵とも言える)、やっぱり本を出している「権威ある学者」の言葉って大きいよね。

改めて、私は社会学に向いている人間だと思うし、もし大学時代、そういう意思がはっきりあれば、大学院に進学なんかしちゃった可能性も・・・

そして社会学者になれた可能性もあるんですよね。

なんて一瞬思ったけど、実際ここに出てる人の多くが、高校の時から専門書を読んでたり、意識を持って大学で勉強されてた方がほとんどなので、凡人は全然お呼びじゃなかった。

何より、大学時代はまだそれほど性格悪くなかったので。

という、自分の性格の悪さが露呈した読み物でした。

『古市くん、社会学を学び直しなさい!!』古市憲寿