時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

発信する本当の目的

うん。毎日、自己分析しているに過ぎない。

 

こうしてね、いろんなことをただひたすら書いては投稿しているけど、元々はノートにひっそりと書いていた事柄。でも、ノートは捨てていくじゃん。たまには残して読み返したいと思うのだ。

 

いろんなサイトがあるけど、どれも解決方法や結論ばかり。いや、文章として、結論があるって素晴らしいことは分かる。多くの人が、手っ取り早く方法論や結果を求めるのも分かる。

しかしだ、成功しようが失敗しようが、乗り越えようが負けようが、その過程や葛藤部分を私は知りたい。

結果だけなら、誰でも書ける、言える。でも、大事なのはその結果や境地に至るまでの経緯だ。特に、引きこもっていた時は、その人の感情の経緯を知りたかった。

どんな出来事に、どんな意味を見出し、どんなことを感じ、悩み、落ちていったのか、そして上がっていけたのか。

どういう思いや感情が芽生え、行動に反映されるのか、そういった部分。

 

言ってみれば、人間の行動のように、はっきりとは見えないが、でも確実に重要な思考の部分。そこを知りたかった。

ま、臆病だから、体験するより先に武装して準備していたかったってことなんだけど。行動は無理だから、せめて考え方が変われば、自分の世界も都合よく変わらないかしら、なんて後ろ向きな思いもあった。

だから完全に、とまではいかないけれど、これからも残していこ。

 

もう分かってることだけど、大抵いつも同じようなことで悩んでいるわけ。

長い目で見たら、今は普通にできるようになったけど、当時はこんなことでいちいち悩んでいたのか、気にしていたのか、そんな自分を知ることで、少しはマシになった自分が見つけられるような気がして。

書くのは自分のためだ。

もし、同じような情報を欲しいと思っている人がいれば、なおさら。

みんな、弱気な部分って表現しないでしょ。あえて、それを発信する意味もないし。まき散らす必要もない。だから、積極的にそれを感じて、書くことで外に表現してみたかった。

書くことで、自分の中にあるモヤモヤとしたものを剝がせるような気がしてる。

野菜から出るアクをお玉で取り除くような。

 

同じようなことで何度も悩み、進んでは、また同じことに立ち戻って悩む。

自己啓発本のような、はっきりとした結果が見えていないからこその、まとまりのなさ、混沌。

一つ山を越えたら、また同じような山があり、結局その山でも、同じようなことに躓き、同じようなことに悩み、同じようなことで自己否定する。それでも山が違えば、確実にどこかへは向かっている。と、信じたい。

 

ま、正直、こんな考え方に共感なんてできない方が、もっと楽に生きられるよ。

そういう人がいたら、こんな面倒な人生に生まれなくてよかったと、あらゆることに感謝していただきたい。

残念だけど、私は複雑すぎて捻くれまくったから、解いていくのに時間も労力もかかる。それを解くため、こうして毎回、同じようなことを書き綴ってる。

 

何とかして自分から切り離して、それを遠くで眺めたい。

もっと単純な人間になるために。