時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

買い物とは、自分と向き合う行為なり

洋服を買うのって大変だ。

誰かと見に行くのも大変だし、一人孤独に見て回るのも大変。

 

洋服を買う行為って、自分を真っ向から見つめないといけない作業だからだと思う。

お店に入っていく度胸、その中から探し出すアンテナ、それを合わせてみる羞恥心、買うか止めるかの判断、そもそも、自分の体型を直視しなければならないという厳しい現実。そして、自分のために買ってもいい、という自分が出す許可。

 

購入することへの見えない罪悪感。決して、自由に欲しいものを買いたい分だけ買える恵まれた収入ではないのだから。

不景気により、真っ先に省かれるのは決まって被服費。同じものも着られるけど、でもある程度更新していかないと、気後れするのもまた事実。消耗されていくのは布だけじゃない。

 

ほら、いろんな部分が浮き彫りに。

それらを自分の中でケリをつけていく作業を、決して長くはない時間の中で、全てやらなければならない。

私は苦手だよ。

 

そもそも、入っていく度胸は、結構大きなハードル。

一人で、しかも誰も入っていないところに行くのって、なかなかすごいことじゃない。

それは、言ってみれば、知らない人にナンパするようなものだ。だから、まあ慣れなんだけど。

今でも、さっと見て出ていくのが、なんか申し訳ない気持ちが数%ある。

そんなドキドキ感の中、自分のアンテナを頼りに見ていくのも。

いざ、いいなと思うものがあっても、サイズが大きすぎないか、というのも悩みだ。

いかんせん、最近の洋服はサイズがデカい。丈も長い。身長150センチそこそこの私にとって、今の大きめブームはそもそも厳しいのだ。

入らないは論外。それはもう、悩むことなく諦める以外の道がないので。

 

合わせてみるのも、なんだかな。

明らかに大きいものを合わせて、自分の体型の恵まれてなさを目の当たりにするのも、わりと傷を抉る。

私、傷つきやすいのだ。だって、期待してるじゃん。ようやく気に入ったものが見つかったのに、それがダメだと分かるガッカリ具合。

それはまるで、選考に落とされた気分だ。フラれたことと同義。気持ちは同じよ。

引きずりはしないけれど、でもやっぱりしばし落ち込む。なにせ、気に入る許容範囲が狭いもので。

これがダメでも、すぐまた見つかるよって心から言えない部分があって、だからこそ、1回1回の出来事で心抉られるんだけど。これは買い物だけじゃなく、恋人でも仕事でも、なんでも。

なんで、またすぐ見つかるって思わないかっていうと、それを探すまでに、結構時間かかってるから。

しかも、結構気に入ったものが見つからない暗黒の時間がこれまでにもあったことを、学習しているから。だからこそ逆に、もうこれでいいや!と妥協に変換することもできるんだけど。

 

こうした習慣や性質が、あらゆる人生においての行動や選択に、結構関わってきたりする。

たかが買い物と思うが、実は結構自分の行動って一貫している。

買い物が慎重な人は、実生活のあらゆる面でも慎重なのだ。


あと、悩むことは、色で迷うとき。

結局決めきれない優柔不断を発揮するし、似たようなものを欲しくなった時の心の葛藤。

欲しい!という欲望に対して、それを見ないフリして通り過ぎてモヤモヤを抱え込んで、意気地なしと自己嫌悪に陥ったり。

もう、ただの買い物がめっちゃストレス。買い物が娯楽じゃない。恋愛も飲み会・食事会も娯楽になりえないタイプって、なんか損だよねぇ。同士たちよ・・・!


買い物に行く度、同じようなことを繰り返すから、通販に逃げる人の気持ちがよく分かる。すごく楽だもの。

でも、個人的に対面で買いたいのは、どこか逃げたくないと意地を張っている部分があるからなのだ。そして、そんな中達成できた時の心の晴れやかさは、何物にも勝る。


その人を見たければ、買い物の仕方を見たらいいと思う。

結婚する前に旅行に行け、って言うでしょ。

旅行が無理なら、せめて買い物に行くべし。

金銭感覚だけでなく、性格?性質的なところが、ものすごく浮き彫りになる。特に、そんなに大きな買い物でないからこそ、そういう時に人柄が出る気がする。何気なく意識しない部分だからこそ、その人の素が垣間見える恐ろしさ。

結構人柄、出てるよね・・・

 

結局、今日は買い物に出かけて気になるのがあったけど、そのまま素通りして帰ってしまった。・・・意気地なし。