引きこもる思考

考察とnikki

窮屈なお正月

私は昔から、正月が嫌いだ。

寝坊して昼近くに起き、そのあと決まりきった挨拶があり、その後これまた決まりきった料理を食べる。

そしてしょうもないお正月のテレビを見ると、これまた同じような装いの芸能人が、これまた決まりきったような挨拶を1日中視聴者に投げかけ、その番組の合間には、これまた決まりきった挨拶であふれるCMが流れる。

何一つ、面白いことがない。

夕方になる前には、家族で神社へ参拝に行き、そのまま父方の祖父母の家へと赴く。

そこでも、決まりきった挨拶を交わし、食べたくもない正月料理を食べ、また同じようなテレビを見る。2時間くらいの滞在の後、今度は母方の祖父母の家に向かう。

そこでは、大阪に住んでいる従弟たちも集まって一緒にご飯を食べる。

そして10時を迎える頃にようやく家について、そこでやっと自分の落ち着いた時間が持てるのだ。

 

こんな習慣は、私がおうちに引きこもるまで続いた。

よく「日本の伝統は大事だ」などと言う人がいるが、なぜ?と私は疑問に思う。

私は、1年の中でも正月が一番嫌いだ。せっかくの休日なのに、まったく楽しく感じられない。

私の理想の正月は、10時くらいから起きて適当にご飯を食べ、そしてDVDやら録画などを見ながら手芸に没頭する。暗くなってきたら神社に参拝し、車通りのない夜道を堪能してから帰る。初売りには興味がないから行かない。これまで正月早々買い物に出かけた記憶は皆無。

そして早めに風呂に浸かり、その後の夜は、さらに録画やらテレビを見つつ、アイスでも食べる。そんな流れ。

しかも、これらは全て一人でやらなくては、理想の過ごし方とは言えない。

そう、正月は、一人静かに自分が最も心地よいことを堪能する日でありたいのだ。

 

正月に旅行とか、正直理解できない。

帰省も、自分から面倒に首を突っ込みに行くようなものだ。

学生の頃、正月早々「映画に行かないか?」という友人の誘いに、信じられないものを見たよ。え、そんな自由にしていいの?と思った記憶。

今は実家暮らしだけど、一人暮らしを羨ましく思うのは、そういった決まりきった伝統だとか、厄介な行事に参加しなくても済むからだ。

窮屈な枠組みに縛られなくていい。

これが実家にいる人の場合だと、いくら慣れた家族であっても窮屈な行事に組み込まれることになる。

おせち料理、お雑煮、お年玉、挨拶、テレビ、お参り。どれか一つはやるだろう。

完全に切り離せるのは、一人で生活をしている時のみだ。

 

ようやく一人で暮らし始めた若者が、せっかく行事に縛られない生き方ができても、これで結婚なんてしてしまったら、もう大変だ。

せっかく自由になった自分を、また窮屈で仕方ない枠組みの中に自分をねじ込まなければならなくなるからだ。

しかも、自分の家族、実家、義理の家族と、さらなる厄介事を増やしては、自ら自由を縛っていく。意味が分からない。

こんな不自由さ、誰一人望んでいないであろうに、これも伝統だから、文化の継承のためだと、自らの家族にも、同じようなことを強いてゆく。


まあ、私の場合、実家で暮らしているけど、その枠組みから完全に浮き出た状態にある。家族が祖父母の家に行っても私は一人残っているし、一人で神社にも行く。

引きこもって、正月を一人自由に過ごすことで、はじめて正月が素敵な日になったのだ!!

何者にも縛られず、自分の時間を自分だけで過ごす。

おまけに夕方の道路には車がほとんど走っていない。外を出歩いているのは自分一人だけ!こんな高揚感も、そうそう味わえない!

(ただし、今年は違った。例年なら車通りがほとんどない時間なのに、今年は平日と同じように車の出があった。とても奇妙に感じられた今年の幕開けであったが、すぐにその感覚が正常だったと理解できた。今年は、確かにおかしな年だった)

 

正月の過ごし方など、○○の日の過ごし方。伝統。行事。

そうしたことがあるのは別にいいが、それが個人を縛るものであるならば、いっそない方がよいと思う。

楽しいなら続ければよいし、苦痛なら従わない。そうした選択もできるとよい。それが可能なのが一人での生活。

逆に、今はさ。そうした、自分たちだけの正月が過ごせるわけよ。

旅行にも田舎にも行かず、かといって、初売りに行くわけでもなく。各々が自由に過ごす。私は、いい機会だと思うけど。

ようやく目覚めてくれるかしら、と実は期待している。

この素晴らしい正月の過ごし方が、もっと広がることを!