時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

レジ袋はやっぱり買いたい

よく行くコンビニ(7と11)は、レジこそセルフではないが支払いは機械。店の人がバーコードを読み取った後にこちらが支払いに入る。ちなみにキャッシュである。
袋も私用のものなので、お釣りを取った後にレジ題に残されている商品を鞄に入れるしかない。(おまけにレジ台にはビニールシートが設けられているため、手づかみでがっつくように入れる。卑しい)

するとだな、その間、お店の人何してんの?
ただ客が諸々手間取っているのを、ひたすら見てるだけ。
まあ、それは別にいいんだけど、するとだな、一番の問題は去り際。
従来通り、店の人が袋に入れてくれれば、受け取る際にそこでお礼が言えるじゃない。あるいはお釣りやレシートをもらう時ね。こちらとあちらの目線が合う瞬間ってのが必ずある。
でも、そういった作業を店の人がやらずに客がやるようになれば、お礼って必要?
一通りの作業をやって、終われば去る。店の人とのやりとりも、袋がいるかいらないか、それだけ。

店の人はこちらが支払いを終えたタイミングで「ありがとうございました~」が入り、その後はこちらがひたすら袋に入れる。気まずい。去る時も言ってくれることはあるけど、「すでに一回言ったからいいでしょ」みたいな雰囲気の時もある。こちらも袋詰め作業が終わり次第、そのまま下を向いたままお買い物を終える。
ひたすら作業だ。

これってどうなんだ。

店的にはあらゆる負担が減って楽になってるんでしょうけど、なんかどんどん言葉が消えていくような気がして寂しさを感じる。
客としても、いろんな気持ちを込めてお礼を言いたいのよ。店側に立ったこともあるから、客とのそうしたやり取りがあるのと無いのとでは、気持ちが違うってことを十分知ってる。こっちも自然な笑みが出てくるのよ。張り付いた営業用の笑顔じゃなくてね。
決まりきったマニュアルではない、まさに人間としての自然な「やりとり」が生まれるから、好きだったのに。

なんか自分の中に流れているペースを崩された感じがして、気持ちがすっきりしないまま店を出ることになる。かといって、こちらが何もかもやり終えた後に目線を合わせてお礼を言うのも、なんか変。私の中に疑問が生じるわ。

ねえ、どんどん、いろんな余裕がなくなってない?
余裕が欲しくて、いろんな便利なシステムを作って快適な社会にしてきたはずなのに、
いざそうなってみると、どうして余裕がなくなっているんだろう。
私も荷物が重い時はレジ袋を買ってるけど、その時の方が気持ちはいい。お店側もちゃちゃっとやってくれるし、私も余裕をもってお金を機械に入れられる。お釣りを財布に入れた頃には、すでに袋に入れて待ってくれている。私はそれを受け取って笑顔を振りまいて去る。

仏頂面で歩いてきて必要なものだけ手に取って買い物をして、せめて最後くらいは顔を崩したいじゃない。
知ってる人の前だけ笑顔なんて、そんなに世の中、冷たい鋼鉄のようなものだったかしら。。そりゃ、お金を払った者に快適さが提供されるのは、その通りなんだけどね。やはりレジ袋は買うのが正解なんでしょうねぇ。

人間が幸せに生きて、みんなが平和に生きられることが地球にとって一番なことだと思うけど、これは私だけの特異な意見なのかしら。

ね、みんな、どんな社会にしたいんですか?