時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

お金に向かない人々

職場の人とも話していたことだけど。

お金は増やしたいけど、株が苦手だと。


この会社を応援したい、この会社の優待券が欲しい、ならいいけど。

上がるか下がるか、その判断も難しいし、買っても上がった瞬間売っちゃうんでしょ?売るために買うんでしょ、みたいな。

そんな切り捨て的な考え方に少し、抵抗があるって。


私もその手のタイプだから、二人して、向いてないねって笑ったけど。

 

思い切りというんだろうか。割り切り。そういう考えがスパっとできないと、なかなかお金のこと、稼ぐことって難しいことかもしれないって思った。

 

もちろん、お金を稼ぐことはよくない、贅沢はいけない、ましてや株で苦労せずにお金をいただくなんてもってのほか。

そんな教育や思想が植え付けられた結果とも言える。性格的なこととも言える。

でも、やっぱり、どこか自分が得をするために動くっていうやり方に、私も含めてその人も抵抗をお持ちのようだった。

打算的というか。

 

自然にこうなった、ならいいけど、自分から損得を考え、そのために行動することへの抵抗。それをなぜか、恥ずかしいと思ってしまうこと。

この手の内容、結構書いてるつもりだけど、なかなか大きな話だし、根が深いように思える。いくら書いて客観的になってみても、なかなか先に進まない。

少なくとも、そう感じている人が他にも(というより身近にも)いたわけだし。

 

これは、生まれ持ったものなのか、教育や環境的なものなのか。

もし、お金を稼ぐことは素晴らしいことだ。株や投資で社会を盛り上げるのは大事な仕事だ。

そんなことを幼少期から教わっていたら、そういう社会で育っていれば、少しは違ったのだろうか。

 

日本では、お金に関する教育が遅れているというか、皆無なのは知っている。

子どもがお金のことを考えるなんて、子どもらしくないから?それとも、大人が突っ込まれたくないだけ?

 

でも海外では、お金の教育もあれば、選挙の教育もある。投資や選挙の実習もあるよ。

個人が個人として生きるための最低限度の知識を子どもの時から学ぶ、だからこその、責任なり自由なり。

日本は、やはり個人として生きるための教育ではなくて、相変わらず、集団の中で、上下関係の中で依存して生きるための教育をしているんだなぁと。

 

でも、今のままで、この先の日本を含めた将来って、なかなか明るいものが見えてこないんだよなぁ。

政治も政策も、結局目先のことばかり。

そして私も、目先のことしか考えてない。むしろ考えたくない。先のことなんて。