時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

傷が傷を呼ぶ

今日は嫌なユメを見た。

就職活動の2回目を迎えるユメだ。

大学生の就職活動、そしてその後3年後だか5年後だか、社会に出た後もう一度訪れる就職活動期。

もちろん、今の仕事でいい人は、参加しなくてもいい。

そんな制度がある世界のユメだ。

 

でも私、そのユメの世界にいるうちに、重要なことに気が付いた。

最初の就職活動では、自分の可能性を評価してもらうため、これまでの仕事でも何でもない課外活動や人柄など、そういったことで判断されていた。

でも、次に来る就職活動では、自分が3年間なり5年間での仕事の経験、そういった実績での評価となることを!


そう、こういった期間が法的に決められていたとしても、それでも評価の基準自体は、現実世界の中途採用と何ら変わりがないのだ。

 

そんなユメから醒めて、少しブルーになってしまった。

結局、私は完璧主義であるから、一歩目の踏み出しで躓いてしまったら、そこから再度体勢を整えることが不可能だということ。

なぜなら、一度躓いてしまったことで、傷がついたも同然だからだ。

完璧主義は、その傷がどうしても気になるのだ。

 

日常の、ちょっとしたことでも、例えば、消灯してさあ寝ようと布団に入った段階で、何かし忘れたことに気付いた時ですら、それを忘れて明日に回すことができない。

気になって仕方がないからだ。

仕方なく、その忘れた作業をやるために起きだして、自分が納得しないと寝られない。


ちょっとした傷は、それをどうにかしない限り、忘れられない。ずっとそこにあり続け、それを自分で直さない限り、どうしても気がかりでしょうがなくなる。

もちろん、寝る前のし忘れた作業程度なら、すぐに修正可能だし、少し面倒なことさえ我慢すればよい。


しかし、人生そのものについた傷を修正するのは容易なことじゃない。

一度ついた傷が、永遠に消えないことだってある。

取り戻すことが、いつでも可能なわけでない。

 

もちろん、盛り返すことはできるだろう。やり直しも、そこから追い上げることも。

しかし、これが完璧主義者となると、たった一度の傷すら許せなくなるから厄介だ。

私は一度ついた傷を気にしてしまい、さらに傷を重ね、大きく広げてしまった。厄介なことに、ひとつの傷が、さらに別の傷を呼ぶのも特徴だ。

そうした自分の特性を分かっていればいいが、たったひとつの傷がここまで自分を縛るなんて、考えてもみなかった。


切り傷程度なら、今までもたくさんあったはず。

私にとってのはっきりした傷は、大学受験かな。

これは、2年くらいで、どうにか持ち直したけど、さらにそこから続く就職できなかった傷は、そこから私を引きこもりに誘い、無職という大きな傷を呼んだ。


今でも癒えない傷は、まだやっぱり痛みを伴うものだ。

この傷が、自身を萎縮させ、自信を喪失させている原因でもあるのだ。

未だに、その傷を作った犯人捜しを私の中では行っているらしい。とにかく、誰かのせいにしたくて仕方がないのだ。


せっかくよく眠った休日なのに、すごく憂鬱な始まりだ。

ここしばらく、こんな凹むことなんてなかったはずなのに、ユメで現実を見せられて、
なんかあっという間にブルー。下がってしまってるなぁと思った。

 

こういう時、ずっと頭の中で考え続けるより、一度外に出した方がいい。

わざわざ世界に向けて発信する必要なんて全くないけれど、それでも私は冷静だ。

 

そして、時間をおいて読み直してみたら、さらに冷静になっている自分に気付く。

こうしたことは目に見える形にし、時間をおいて見直してみることで、距離をとることができる。

 

何事も、感情に飲まれた後に、冷静になるために動くことが大切だ。