時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

間違っていた感情処理

一応、前回の続き。

感情コントロール - 引きこもる思考

 

あらゆる感情を感じていないような気がしたのは、感じないように、押さえつけていただけである。

 

中学生の頃とか、一人でいる時間が多かったから。

いちいち反応を見せる相手もいなかったし。

 

でも、それは本人が意識的、あるいは無意識にやっていることでも、受けた衝撃というものは微細でも存在している。

自分で気付かなかったとしても、身体は覚えているかもしれない。

それを押し殺しているだけで、決してなかったことには、残念ながらできないのである。


だからこそ、それらをうまく発散したり、受け止めたりしていかないと、積みあがっていく一方。

もちろん、皆が皆、こうだとは思えない。私は大分極端な方だと思う。

 

しかし、うまく感情をコントロールできていないと、ある日突然やってきた何かによって、これまで積みあがっていたものが、一度に崩れることもあるし、そもそも処理をその都度できていないから、簡単に限界を迎える。


何より、感情の受け止め方が分からなくて、大変苦労する。

 

例えば、怒られたとしても、ある程度処理の仕方が分かっていれば、早めに意図的に切り替えができるし、冷静になって判断・次の行動にも繋げられる。

 

これが、うまく処理ができない人だと、いつまでたっても、その感情が湧いた状態が維持され、忘れようと思えば思うほど、なぜか離れてくれない。

忘れたと思っても、あくまで意識上に上ってこないだけで、ずっとそこには残っているのである。残っているから、ふとした時に再燃する。

 

ここで大事なのは、感情という衝撃に慣れて耐性をつけるのでなく、処理に慣れることである。衝撃に慣れるだけじゃあ、感じないように無視できるようになった、と大差ないことになってしまう。

少なくとも、私はもう、そっち側には戻りたくないのだ。


受け止める、その痛みを見ることが肝心。

でも、これが意外となかなか、出来ないんだよなあ。

 

昔から、正しく感情を受け止めてこなかった私は、自分にとって不愉快な感情や出来事は、すべて無理やりなかったことにしてきたもので。

 

他の人がどう感じるかは分からないけれど、すごく不愉快なことがあった時。

身体が、まず停止する。

ものすごく静かになる。

頭も静かになって、ぼうっとする。

で、これじゃイカンと、無理やり思考が切り替わる。楽しいことを考え始めるのだ。

 

一人の時だと、独り言を言ってしまうとか、身体を動かしてしまうとか。

とにかく、身体、私自身が、自分を盛り上げようと必死になる。

でも、そうやっていても、どこかで、さっきの出来事が頭をちらついては、また思考の隅に追いやる。

自分を盛り上げるのはいいことだけど、見て見ぬふりは、あまり推奨できない。

 

大学生の頃。

卒業後に活躍している方に連絡を取った時、多少こちらの不備があって(といっても、大したことではないが)そこを責められて、「社会では通用しませんよ」とメールで八つ当たりのようにお叱りをいただいた時は、まあ、思考が止まったね。

今でも、思い出すと泣けてくる。

 

あの時の感情に支配されていくのだ。残った感情の欠片さえあれば、いつでも私は当時の私に戻れる。


まあ、今にして思えば、「まだ学生なんですけど」って思えるわけだけれども。


こちらとしては、学外の人に送るメールなんて初めてのことだから、それなりに丁寧に、かつ調べた上で、ソワソワしながら取ったアクションなのに、そういう風に返されてしまって、衝撃がすごかったというか。

 

もともと臆病がすごくて、でもそんな自分を鍛えたくて取ったアクションで、そういうことを言われてしまったのだから。

結果を受け止めることすら、できなかったよね。

 

無理やり思考を変えるために、沸かしたばかりの風呂に入ってみたり、独り言で盛り上げてみたりしたけれど。

今でも思い出して泣けるくらいだから、その衝撃の残骸は残ったままなのかもしれない。まだ、終わっていない。傷が生きている。

 

卒業後も、あらゆることで注意されることは当然あったが、もちろんその時も衝撃を覚えつつも、それでも仕事は続いていくから、無理やり頭を切り替え、同僚の前では冗談を言っておどけていたフリをしていた。

 

そうでもしないと、耐えられなかったから。

痛みを見ないようにするためには、あらゆることをやってみた。


しかし、作業する手や足に力が入らず、衝撃が全身に来たであろうことは、まぎれもない事実だ。


結局、そういったことが積み重なるも、処理の仕方が分からず、また、誰かに相談したり愚痴や弱音を吐き出すこともできなかった私は、いつしか仕事を退職。長い引きこもりに入る。

 

もちろん、ただ感情をどうしていいか分からなかっただけでなく、弱さを人に知られたくない、恥ずかしくて耐えられない、などの余計なプライドや意地もあったのだけど。


いずれにせよ、正しく処理して受け止める方法が分かってないと、弱った自分を自分で切りつけることになるよ、ってこと。

 

叱られ慣れていないのでなく、どう対処していいかが分からないまま大人になってしまうことに、原因があるような気がする。

 

もちろん、処理をうまくやれるようになるには、あらゆる経験も必要になるから、結果、叱られる経験も必要になるんだろうけど。

 

本当に、正しい受け止め方、受け入れ方って、なんだろうね。