時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

お洒落の極意

少し前、仕事にて去年1回だけ会った人と1年ぶりに会う機会があった。

その方、40半ばほどの方だと思うが、とても若々しい男性だ。

去年お会いしたときも、年齢よりも随分と若い印象を持った。決して童顔ではない。

 

そして、今年お会いした時にまず、本人だと分からなかった。

顔が、というより、ヘアスタイルだ。

随分と違う感じの髪型になっていた。去年はずいぶんサッパリとしておられたが、今年は重めで、前髪も下しておられた。

こういう描写が、とても苦手なので伝わらないのが残念。

 

ついでに眼鏡も。

去年は普通の銀縁眼鏡で、一見すると少し神経質にも見えそうな印象を与えていたが、
今年は縁が太めの眼鏡に変わっており、これまた大きく印象を変えていた。
なんというか、全体的にカジュアル。

髪型を含め、去年より「遊んでいる」感じだ。

かといって、かなり厳格な仕事に就かれているので、だらしがないとか、不真面目な印象は間違っても与えていない。

大変頭が切れるエリートで、そういう厳しい部分がありつつ、なおかつ和やかで明るく、親切な人柄がうまく表れている、そんな感じを演出している。

 

そんな彼を見て思う。

自分、印象を変えるようなことを、ここ数年していただろうか、と。

 

自分に問いたい。

ヘアスタイル、変えているだろうか。

いや、変えずとも、毎朝きちんとチェックをして、手を入れているだろうかと。

 

・・・毎年、いや、10年以上同じ髪型である。

長さが多少変わる(カットする分だけ)くらいで、パーマもなければカラーもしない。

結ぶのも夏くらいで、基本、巻きも伸ばしもしない。

寝ぐせさえ、そのまま放置である。

 

むしろ、髪型、という点においては、女性よりも男性の方が気を遣っているのではないか?とすら思う。

弟も、洗面所の鏡の前に居座り、ワックスで動きを作ったり、随分入念だった記憶。

カットに行く頻度も女性より多い。
本格的に男性がメイクを始めたら、きっと抜かれてしまうだろう。技術も意識も。

 

中年の男性の方がよっぽどお洒落だし、お洒落の意味を、よく理解している。。。

 

お洒落の極意って、あらゆる手を使って、自分は自分だけど、いろんな自分を見せることにあると思うのだ。

メイクにしろ髪型にしろ、装いにしろ。

結局、核となる自分は決して変わることはないけれど、自分以外のモノ、外から手を加えられる部分を手を変え品を変え、どうにかすることで、自分の印象を変えることに意味があるのだ。

 

同じような服だけど、微妙に違う服を着るのは、そういう意味ではお洒落ではない。それはイメージの固定だ。

単に、そんな感じの服が好き、自分はこういうのが好きな人間であることをアピールしているに過ぎない。

あるいは、そんな感じの服が大好きで集めているかのどちらかだ。

 

まったく異なる服を着て、いつも違う自分を演出している人こそ、お洒落なのだと思う。

そりゃ、365日、全部違う服を着ていれば、そりゃ究極のお洒落人になれる。

ただし、ものすごくお金がかかるから、一般人はやらないよ。

せいぜい、自分がセレクトした服をなけなしの給料で買い、それを組み合わせて着まわすのが限界だ。

 

しかし服装が同じであっても、毎回ヘアスタイルが異なる、メイクが違う、これだって十分なお洒落だ。

私はつい、分かりやすい服装にばかり目が行きがちだけど、案外ヘアスタイルって目がいかないんだよな。

分かってるけど、なかなか整える時間がないし、技術がいるし、いろいろとコンプレックスもあって髪に手をかける気があまりしない。

高校生の頃は、アイロンしたり、スタイリング剤つけたりしてたけど。その割には全然綺麗に、思い通りにいかなく、あえなく断念。

なぜなら、全部自転車で飛ばされるからさ!!

 

手先は相当器用な自信があるけれど、なぜだか髪の毛をいじるのは、いつまでたっても上達しなかった。

そんなわけで、年がら年中、同じような服を着て、まったく同じ髪型(その日の寝方により、多少シェフのきまぐれ感が出ます)をしている私であった。

 

いやぁ、なんで男性って、そんなに髪型にこだわるんだろう?

多分、服装のバリエーションが少ないからだ。
仕事でスーツともなれば、なかなか印象操作・差別化として、顔や頭に意識が向くのは当然のことなんじゃないか。

その方だって、おそらくスーツの趣味は変わってないはず。そもそもスーツって、頻繁に新調するようなもんじゃないし。

だからこそ、それ以外の部分でイメチェンってところだろう。

なんにしても、素敵だなぁ。