時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

お洒落は時に恥ずかしい

日曜日はガチ眼鏡で出かけてきた。

天気が良かったから、まあまあ距離のあるセリアまで歩いて行って。

 

とはいえ、なかなかソワソワする。
普段の慣れない自分で外を歩くって、なんて落ち着かないのでしょう。

これが、よく会っている人ならともかく、そうでもない、むしろ話しかけられる恐れが1ミリもない状況でさえ、ソワソワと落ち着かないのはなぜだろう。

当然のことながら道行く人、みんな誰も私の普段のことなんて知らないし、気にも止めないはずなのに。

 

自分がいつもと違うというだけで、どうしてここまでソワソワしてしまうのか。

それは自信のなさなのか、そこから来る不安定な自分のせいなのか。
それとも、周りの目が全て自分に向いているのでは?という神経過敏なだけなのか。

小学生の時に、恥ずかしくて眼鏡がかけられなかったあの頃の自分が思い出される。

今は普通になったマスクもそう。
髪を切った翌日でさえそう。
普段はかないスカートをはいた時だって。

いつもと違うことをしている、それだけで所在なさげになってしまう不思議。

 

もちろん、それらは自分の中の問題だということも自覚している。

眼鏡はコンタクト紛失時の数日間の強制眼鏡週間で強制的に慣れた。

とはいえ仕方なく眼鏡な時と、あえて眼鏡をかけてきた時って結構ちがう。何が違うかって? 自分の言い訳にだよ。

コンタクト失くしたから、仕方なく眼鏡なんだーと思える自分の言い訳と、今日はあえて眼鏡をお洒落でかけてみた、という自分のひそかな意図。計画。

心持が違う。

もちろん、そんな自分の胸中なんて関係なく、外から見た他人には結果同じに見えるんだけど。

 

お洒落って、そういう時あるよね。

普段帽子をかぶらない人が、初めて帽子をかぶって外出する時の、あのソワソワ感。

かぶらない人は帽子をかぶるのを恥ずかしく思うし、かぶり慣れている人は、その恥ずかしさが分からない。

いや、そもそもお洒落自体、あえて狙ってやっているという意味では、恥ずかしいものなんだよ。

だって、よく見られたいからっていう、自分の狙いや欲望をダイレクトに表現したものだと思うから。
そうした本音というか、ある意味正直な思いを素直に受け入れられる人は、きっと恥ずかしいだなんて思いもしないはず。

 

帽子なんて、その最たるものだと思う。

だって、言い訳できないからね。

服なら「なんか適当に着てきた」で通じるけど、帽子なんて「適当にかぶってきた」わけがない。

夏の日差し避けと冬の防寒ならともかく、それ以外の帽子なんて、お洒落であえて合わせてきた以外の何物でもない。

逃げ場がない。そう、帽子は言い訳できないアイテムなんですよねぇ。

小物ってそういう意味ではお洒落の最たるアイテムで、だからこそ恥ずかしいし、だからこそ、それ一つ加えることで圧倒的お洒落感が増す。


いやあ、私も最初、帽子は結構ソワソワしてましたよ。

あえてお洒落してる奴って思われるの、なんか嫌だったこともあった。
お洒落な場所に行くならともかく、近所のスーパーや散歩程度で「もしかして、気合入ってます?」って感じで。

もちろん風に飛ばされるんじゃないか、という緊張感もあった。

(ちなみに私は傘が強風で飛ばされるんじゃないか、という恐怖から、雨の日に折り畳み以外の傘がさせません)

 

でも今は慣れてきたから、そこまで気になることも気負うこともなく、普通にかぶって出かけられる。

でも、やはりちょっとお洒落してる感じが抜けないから、そう思えてしまうと、ちょっと照れる。特に新しい帽子は特に。

でも、帽子なんて、高齢の方とか普通にかぶってますよ。

だからこそ、帽子デビューは夏か冬を推奨。
機能重視だと、自分に言い訳できるから。

言い訳できるところから始めてみるのも手ですね。

なんなら、買ってすぐにかぶればいい。
実は週末、冬用のキャップを買って値札ついたままかぶって帰りました。

 

眼鏡に関しても。

もっとも眼鏡のソワソワ感は子どもの頃に味わい尽くしたから、もう慣れてしまった部分は大きいし、眼鏡はお洒落よりも機能的な部分として、まだ納得できる部分があるから帽子よりはハードルが低い。

さて、帽子にも眼鏡にも、ちょっとずつ慣れてきた自分、実は今年はサングラスを使ってみようかな、という密かな企みがある。

サングラス、なかなかハードルが高そうだけど、挑戦してみたい。そんな30代。