時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

臆病さに苦しむ時(脱「臆病」入門)

去年から3回も読むほどの、愛読書であった本。

すでにどっかでまとめと感想を書いた気がするけど、書いたかどうかもはっきりせず記事も見つからないため、改めて読んだついでに書く。

簡単に言えば、なぜ臆病になるのかという心理を説明してくれる内容。心理学的な読みやすい本で、これを書いた著者の本職はお坊さんらしい。

臆病になる原因は3つ。

・自信不足
・自意識過剰
・存在の不安

 

臆病な人は、失敗が怖いから挑戦をしない。

挑戦をしないから失敗という恐怖からは逃げられるけど、経験も溜まっていかないから、自信が育たない。

だからますます何もできなくなって、臆病に拍車がかかる。

臆病な人は、周りの目を過剰に気にしていることが多い。

周りからの評価を常に気にしている。まさに自意識の過剰だ。

そして、漠然とした不安にいつも苛まれている。

起こっていもいない将来のことを気にし、今に集中できていないため、安心ができない状態だ。

 

この3つが合わさることで、臆病が完成する。

分かりやすく言えば、自信がないから挑戦できない。挑戦しないと自信もつかない。

自意識過剰さも、自信がある人ならば自分に注目してほしいという意味になるが、これが自信がない人ならば「見ないでほしい、みんな私のことを見て笑っているんだわ」と、ネガティブな思考に囚われ、ますます自信を失くし不安を増大させる。

そんなメンタルだから、より漠然とした不安を抱えてゆくこととなる。

とにかく、臆病は誰でも簡単になれてしまうけれど、一度臆病になってしまうと、そこから進むのが難しくなってしまう、そんな印象を受けた。

 

特に印象的なのが、変わる努力をしていることを、人に知られるのがたまらなく嫌だという話。

お洒落になろうと必死になっていることを知られるのが恥ずかしい。

いや、そもそも臆病者は変わることが苦手。

自信がなくて将来が不安で、周りからの評価も気になりすぎるから、いつもと違うことはやりたくない。変化が怖い。

今までの自分になかったことをすることは、自信がないし、どう思われるかが過剰に気になるし、評価を気にしていることを知られるのも、それはそれで恥ずかしい。

結果、変わろうとしていることを知られたくない。努力を見られたくない。

そんな複雑な心理に彩られているから、一見すると簡単な「モテたいからお洒落をする」ということすらも、複雑なドラマに仕立て上げてしまう。

 

ここで私の臆病(だと思われる)なエピソードでも。

就職活動で一番心が折れたのが、スーツを着て、一つの会場に向かう最中のこと。

「就職活動なんだろうな、あそこの説明会に行くのだろうな」と周りの人間に知れてしまうことが、何より嫌だった。

スタイルに恵まれず皆が持っている大人感がなくて自信がないし、自信がない上での自意識過剰により、人から見られている、目的を他人に知られているのでは?という、内面を知られたくない羞恥心にさらされ、さらに初めての場所へ行く不安に苦しい。

(ついでに言うと、就職、大人になんてなりたくないという後ろ向きな気持ちもあった。生きることに、漠然とした不安が常にあった。)

他にも、朝早くの駅のホームに人が大勢いるだけで、同じ場所に行くのでは?と苦しくなったり。

これと同様、みんながやっていることを避けたがる傾向にあるのは、多分私の臆病が原因なのではないか、と思っている。

慣れた部署に行って要件を伝えることすら、声が震えてうまく出ず、その度に自己嫌悪に襲われたものだ。これが3年ほど前かしら。


臆病は、とにかく事実を難しく複雑に捻じ曲げてしまう癖があるため、シンプルに生きるには厄介なシロモノであるが、人間が感情を持つ以上、上の3つの心理から逃れられないため、臆病から解放されることは永遠にありえない。

ただ、メカニズムを知って観察し対処することで、コントロールできるようになる、とのこと。

この臆病と付き合うには、生活を見直してみるとか、言葉を意識して変えてみるとか、そこらへんはざっくりしていたが、私に巣食う臆病心のメカニズムを分かりやすく説明してくれているため、臆病だなと思う度に手にしてしまう本である。

しかし、解決法がざっくりしているため、いつも解決にはいたらず、その心理的要因だけ読んで満足してしまう本でもある。

 

『脱「臆病」入門』 松本圭介