時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

市子という女(映画「市子」)

冬の間に見た映画についての話。

「市子」という映画で元々は舞台の人気作らしく、それが映画化されたものらしい。

全然知らなかったけど、たまたま映画のラインナップを見て予告を見て、興味を引かれたから見に行ってみた。
なんせ、そういう話が好きだから。サスペンス的な話が。失踪とか。

ちょっと時間が経ってしまったので、今はもう終わってしまったかもしれないが、プライムビデオでもやってるそうなので興味があれば。

正直、感想を書くつもりはなかったけど、なんかずっと残ってるんだよね。
だから一度言葉にして自分の中から出した方がいいと思って。

ネタバレしかない感想を以下に。

市子

市子

一言でネタバレをすれば、市子ちゃんは戸籍のないまま育ってしまった大人。

その時点でも家庭環境がちょっとおかしくて、母が再婚したり、妹が病気だったりと。
そのうち、妹の戸籍を拝借して学校に通ったりしてたんだけど、家庭環境は、やっぱり他の子どもとは違ってたんですね。

それだけでなく、市子ちゃんは実は過去に人を殺してて。
それもあって、逃げてしまったんだよねぇ。

この映画で一番強く残ってて、ずっと頭をリフレインしてるのが、家を出てあても仕事もなかった市子ちゃんを拾ってくれた友人が、彼女に夢を与えてくれたんです。
ケーキ屋を一緒にやろうって。

色々あるんだけど、そのあと、殺人の片棒を担いだ高校時代の友人と再会して。

「うち、夢見つけてん」
「だから、昔の知り合いとは会いたくない」と。
そんでもって、
「もう昔のことは忘れたい。だから忘れたらいいよ」と。

つまり、殺人したことを忘れようとしてる。

「楽しいことを考えてたら、未来も楽しい」的なことを言って、
「都合のいい考え方だな」と一蹴されるも、
「うちは救われた」
と、まったく聞く耳を持たない。

でも、結局その夢も友人も捨てて、また別の町かどこかで生き始める。
そしてとうとう、プロポーズされた翌日にさえも、姿を消した。

もうね、悲劇でしょ。
この話、もう救いようがなくて。

戸籍がないだけなら、後からどうにでもなったけど。

本当の自分を名乗れずに偽りの自分で生きてきた人格的な影響や、複雑な家庭環境やら何やらで、結局市子ちゃんは殺人を犯してしまっている。

それさえも、正当化してる。
一番幸せなプロポーズされた後ですら、逃げたんだよ。
もうこの先、この子幸せになれないじゃん。どこへ行こうというの。

 

もうね、どうするのが正しかったのか、分からないよね。

もう命が始まった時点から、なんかおかしかったんだよ。

そもそも、市子の母がDVに遭わなければってとこから始めるしかない。
そんな男に引っかからなかったら、よかったのに。

そんなのに引っかかる女にならなければ、暴力で解決する男にならなければ。。
子どもの悲劇は、もうそこから始まってるんですよね。。

どうすりゃよかったんだろうって。
当時、まだまだ若かった市子母は、どうすればよかったんだろう。

でも、どうあがいても、殺人を止めることはできなかった気がする。

だからせめて、その後、市子は捕まってたらよかった。

10代で捕まってて、そりゃあ母親も捕まってた可能性はあるけど、それでも逃げてここまで来るよりかはマシだったはずだ。
ちゃんとした大人のサポートが入るべきだったんだ。

自分らだけでどうにかしようとしたから、こんなことに。。

どこかで立ち止まらない限り、もうずっと転がってってしまう、ひたすら罪を重ねて。
(でも、本人はそれを罪だとも思ってなさそうなのが、また)

必死、とはまさにそういうことなんだろう。

今の時代だからこそ殺人も大きな罪だけど、時代が変われば、当たり前のようにあったこと。
人を押しのけて生きてきた時代なんて、いくらでもあっただろう。

それくらい、市子の心の中はずっと戦場みたいなとこだったのか。
(子どもの時点で、盗みもお金をたかるのもしれっとやってたし)

一見そうは見えないけど野生動物みたいな市子が、幸せになるのに必要な紙切れが、戸籍だったというだけ。

映画の最後で、物語冒頭の婚姻届けを差し出されたシーンがあって、「あぁ・・・」って思った。ここに書く名前が欲しかったんだなと。

終盤は殺人がメインになったサスペンス映画だけど、そもそもの始まりはそこだったし、現代人が幸せになるのに必要な切符だったんだと私もようやく気付いた。

もう、「あぁ・・・」としか言いようのない映画。
そういう映画です、おすすめ。