時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

自然な幸せを奪った原爆から、今を考える(漫画『夕凪の街 桜の国』)

こうの史代さんの「夕凪の街 桜の国」という漫画を読んだ。

広島で被爆して、それでも生きた女性(皆実さん)は、広島が復興した後も、当時の凄惨な広島と今の広島に違和感を感じている。

あんな状況だったのに、みんな、それを覚えてないの?と。

それでも日々、生活をしている。
でも、忘れていない。
少なくとも、彼女の目には、みんな忘れているように見えている。

でも彼女は忘れていない。

自分の浅ましさだったり、見捨てた罪悪感、生き残った引け目を感じるからこそ、幸せになるのを避けている。幸せになる資格がないと。

最終的には、彼女は23歳で亡くなった。

当時をどうにか生きられても、こうやって数年後、十数年後に影響が出て亡くなる方は多かったらしい。

身体が起こせなくなり、目が見えなくなり、血を吐いて。
「ひどいなぁ」とモノローグで語る彼女の言葉が全てでした。

当時をどうにか生き残って、こっち側に行けたと思ったら実は違ってたという、やりきれなさ。
自虐が入ってて、なんとも言えない。

 

「桜の国」の章では、そんな彼女の「離れて暮らしていた弟さん」を父に持つ、七海という女性の話。

お父さんは被爆された方と結婚したので、つまり七海さんは被爆二世ということになる。

そうだからかは知らないが、七海さんの弟さんは、喘息を患っていた。
だからこそ、大人になっても婚約者として認めてもらえなかったり。。

 

とにかく、いろんな影響を与えてしまったのが、原子爆弾というものだった、ということ。
平和記念資料館にも、幸せな家庭を築いたのに、その後亡くなられた方の紹介がしてあった。

どっちがよかったんですかね?
その時に一瞬で亡くなった方、苦しんで間もなく亡くなった方。
どうにか生きられたと、幸せになった途端に亡くなった方。

放射能の影響はね、アメリカは知ってたハズ。

というのも、後に広島には放射能の影響を調べるための施設が立てられ、被爆された方をそこに呼んで、写真に残したり、いろんなデータを取っていたとテレビで見たことがある。

知らない訳がなかった。
まあ、どんな影響が出るのかを知るために、そういう施設を作ったんだろうけど。

そういう人たちは、どういう影響が出るのかを単純に知りたかったのか、影響で死ぬ人たちを見届けたかったのか。さらなる爆弾の研究のためだったのか。
よく分かりませんけどね。

 

被爆二世の方は、差別なんかもあったそうで。
うん。

まさに、それぞれに人生があったということです。

爆弾によって何万人が亡くなった。こんな被害が出た。
言葉上では、そんなものですよね。

学校では、そういう数字を習って「大変な出来事が起こったんだ」と実感させられる。
もちろん話を聞いたり、ビデオを見た人もいるだろう。

でも実際のところ、それら被害を受けた人は「こういう人」と大枠でとらえられるものでなく、個人だったということをだね。
確かにデータ上ではひとくくりにこうだった、としか言えないけど。

出来事は1つ、死んだのは何万人、でも痛みは各人にあって、後遺症、病気、苦しみは個人にあったというのを。
なかなか忘れてしまうよね。

だからこそ、「この世界の片隅に」とかの映画って、なかなかの衝撃だったんでは?
こういう各人の生活を、見せられた訳ですから。

 

広島の復興は早かったと聞きます。

投下後、若い青少年が広島に入って調査だか支援だかをしてたみたいですが。
その時の被爆で、体調悪化した方もいらっしゃるそうで。

身体は無事でも、放射能を帯びた雨に打たれた人たちも。

落とされた爆弾は1つ。

たったの一瞬。

それに影響を受けた人は、本当にそれぞれ一人一人にあったということを、考えますね。
考えたところで、何ができるわけでもないけど。

 

確かに戦争を吹っ掛けなければ、原爆投下は避けられたかもしれない。
国が先導して、国民を駆り立てていたのかもしれない。

勝ったときは、嬉しかったかもしれない。熱中してたのかもしれない。

でも、結局被害を被ったのは一人一人で。

被害者ばかりが、「戦争はいかん」としみじみ語る。(外国は知らんけど)

それを見た人たちは、「そのとおりだ」と納得する。(外国は知らんけど)
それは、感情的なものね。同情だったり。

だから日本は、なんとなく「戦争はダメだ」と認識しているけど、もしじゃあ、勝って終わってたら、同じことになってた?
被害があったから、「戦争はダメだ」になった?

負けた側がそういう意識改革したところで、本当に世界って変わるのかね?

 

いや、この漫画を読んだからそういうことを考えたというよりは、今この瞬間に考えてることを書き出しただけ。漫画自体は、そんな重たい話ではないよ。気楽に読めます。

重たくはないけど、こういう「自然な幸せを奪われる」っていうのが戦争です。

こうやって、ささやかな一人の人間の幸せを壊していったんだなぁと。

 

でも戦争って、お金が動くからなぁ。

戦争だけじゃないけど、あらゆる世界規模の出来事には、お金やら人の動きが一気に活発化するからなぁ。
ある意味、平凡で停滞した世界線に投じられた手りゅう弾みたいな感じ?

 

重くなった。最後に、我々のできることを考えよう。

広島・長崎に関しては、いつまでもウェットでいればいいって問題でもないし、頑なに「戦争はダメだ」とただ噛み締めるのでもなく。引き合いに出して、現代を非難することでもなく。

確かに今を生きる人たちは、ある一定の面だけで言えば恵まれているけど、その当時を生きていた人たちも、もっと前の時代の人々に比べたら恵まれてる可能性はあるもので。災害、殺しは、どの時代にもあった。

要は、比べてどうこうってものでもなく。

・・・結局、生まれた時代を生きる、ちゃんと後世に引き渡していく、ことしかできないよねぇ。

ある意味、「今」は引き渡された時代ってことですよね。

今の人は恵まれてる!当時の人可哀そう!ではなく、それを渡されたって事実だけ。
どんな時代だって、人は精一杯生きてんだよ。

みんながそれを大事にしてたら、ひどいことはできない、ハズなんだけどな!おかしいな!

 

ちょっと読後の感情からちょいと離れてダダーと書き出してみた。

もはや感想でも何でもない。

夕凪の街 桜の国

『夕凪の街 桜の国』 こうの史代