目覚ましをかけ忘れ、案の定、いつもの起床時刻より30分遅れて目が覚めてしまったこの日。
本来なら、もう家を出る時間なのだ。
まあ、慌てずにその日を「在宅日」に急遽変更することにして、ゆっくりと顔を洗った。
こういう時、在宅勤務推奨の組織だと助かります。
別に特段出社しなければならない予定もなく、こうしろと決まっているわけでもない。
その日の体調を見て出社するか在宅にするかを選択できるので、ありがたいもんです。
(むしろ、体調が悪いのに出社なんてしようものなら、非難を浴びる。
7月、明らかに咳き込んでるのに、あろうことか別の部署にまで顔を出しに来たオッサンを、私はひと睨みしといた)
そういう人が後を絶たなかったから、お盆休み期間まで体調不良者が続出してた。
そういうわけで、急遽しれっとスケジュールに「在宅」と入力し、家でPCを立ち上げた。
とはいえ、元々は出社する予定だったのです。
金曜日はいつも寄り道して帰るため、毎週出社を決めてたのに。
そういう意味で、自分のやりたかったことを自分で潰してしまったから、とても落ち込んだ。
もちろん遅刻したら落ち込むのは当然だけど、それでもその場で謝れば切り替えもできるでしょう。まあ、凹むくらいはするけど。
ただ、やっぱり自分の予定を自分で潰してしまったこと、夕方の予定が決行できなくなったことに対しては、もうこの日が終わるまで、ずっと後悔とショックの気持ちを引きずったまま。
私は、基本的に切り替えができなくて。
注意しててもしなくても、1日、気付けば同じ思考にハマっている。
仕事に集中してても、ふと「ああ、もうショック・・・」と心が思っている。
問題が解決したり、その日が終わらない限り、ずっとこんな状態なので。
よく「切り替えが大事だ」って言うけれど、でもショックを感じてるのは間違いなく。
それを無視して無理やり切り替えようとしても、流れゆく川の流れをせき止めるがごとく、難しいことなんです。
自分は切り替えができない。
しかし切り替えることに一生懸命にならなくて済むから、ある意味これは潔いのかもしれない。
切り替えができないことに対して、開き直っている。
切り替えができない、失敗したことを引きずってるのでなく、その日1日の快適な環境での仕事、夕方の予定がオジャンになったことに対して引きずってるだけだから。
ガッカリしすぎて。
だからある意味、変えようはあるんですが。
(家でも快適に仕事できるようにするとか、夕方、別の予定に変更するとか)
でも、やっぱり出社したかった。
(ある意味、会社で仕事がしたいなんて素敵なことじゃないか)
仕事なんて家でも捗るって人もいるけど、どうしても家だとリラックスモードになってしまうので、私はその切り替えを環境によってやりたい人なんです。
ずっと出社すると疲れるけど、ずっと在宅なのも気が滅入る。
半分交替ずつが、一番気が楽でいい。