時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

英語について考える

どういうわけか、帰国子女を子供に持つ親が書いたブログを読む機会がありました。


いろいろと考えさせられた。

というのも、向こうで英語を使いこなせるようになることが如何に難しいことか。

私は無知だったから、英語に囲まれた生活を1、2年も送れば、英語が自然と自動的に話せるようになると思ってたから。

確かに幼稚園の頃だとか、そういう時はそうかもしれないけれど。

ある程度物心がついて、授業の内容も高度になっていった時、全ての授業を外国語で聞いて理解するのは時間もかかるし、本当に苦労するらしいのです。

それでも毎日学校と家とで勉強して、徐々に理解できるようになる。

それくらい、外国語の習得は難しいってことですね。
勘違いしててゴメンです。

で、そんなに努力して英語を身に着けたとしても、帰国後に日本語に囲まれる生活をしてしまえば、覚えた英語なんてすぐに吹き飛ぶらしい。

 

しかも、どうにか維持する努力をしたところで、「覚えた英語のまま、時が止まっている」そうなので、例えば小学生で帰国した場合、その英語は小学生レベル。

中学なら中学レベルで止まるってことですね。

仕事で使えるレベルにまで上げるには、日本人の英語習得同様に、ものすごい努力が必要らしいです。
これも、全然意識していなかった。

確かに私らも日本語を普通に使っているけど、今使ってる日本語は小学生レベルの日本語ではないですね。

ちゃんとした「大人レベル」の日本語だと思います。

難しい単語や言葉の使い分け、小学生が読めないような本や新聞の内容を理解できるから。正しくは、理解できるようになった。

英語でも同じこと。

小学生レベルの英語では、大人が話す会話、大人向けの本や新聞を理解できないことと同じでしょう。

 

盲点でしたね。。

そんなことを意識しないくらい私たちは学校教育と、子供の頃から親しんでいた本や漫画などで、日本語を高度なものへと進化させてたんですね。
時間を十分にかけて。

幾度も書かされてきた作文や感想文も、ライティングの力を伸ばしてきた。

そして大学教育や社会人になる過程で、より難しい本や論文に触れたり、レポートや報告書を書いたり。

だからもしバイリンガルになろうとすると、これと同じことを日本語だけではなく、外国語でもやらないといけないのなら、日本人の2倍以上の苦労と努力が必要なのかと。

決して、ちょっと外国にいたからといって簡単に身に着くものではなかったのですね。。

 

よく「日常会話程度なら」と英語が話せる人は言うけれど(留学してた弟もそう言ってた)、確かに高度な英語(論文を読み書きできるレベル)や、ビジネス英語とは次元が違うのだなと。

一歩先に進むには、それ相応の訓練が必要なんだと。

そうやって私らも母国語を時間かけて学んできたのに、つい外国語となると、ちょっと頑張っただけでできるでしょ?なんて思い違いを。

特に日本語と英語は何もかも違いすぎる言語だから、日本人が英語を使いこなせるようにするには、本当に難しい。

それをビジネスレベルにしようとしたら、それこそ英語での会話に留まらず作文、レポート、読書、そういったことまで日常の中でやらないといけない。

聞くことはできても自分の意見を英語で話すって、そうとう難しそう。

だって、まず日本語で言いたいことを考えた後に(これだって日本人、苦手だぞ)英語に変換する必要があるのだから。脳疲労がヤバそうだ。

2か国語を駆使して働いてらっしゃる方は、本当にすごいんだなと思いますね。
尊敬致します。

 

でもまあ。

元より言語ってのは、他者とコミュニケーションをとるための手段なので、それこそ簡単な英会話を楽しむ、でも全然いいと思うんですけどね。
伝わることが、最重要じゃないの。

小学校でも英語の授業が始まってますけど、これは最終的に日本の子どもたちをどの程度のレベルにまですることを目的としてるんだろうか。

話せる英語ったって、向こうの文化や学問、ジョークで盛り上がるには、向こうの歴史や文化を知っとく必要があるし、逆に日本のことを話すには、日本のことを知ってなければならない。

そもそも日本人、英語どころか日本語でのスピーチやプレゼンだって苦手じゃん?

 

相応レベルで話すには、その土台ができてないといけない。

そこまで学習してたら、時間がいくらあっても足りないですよ・・

英語はそこそこできるようになったけど、その変わり日本語レベルが下がった、英語はペラペラでも中身がペラペラでは国際人としてどうかと思いますしね。

長々と語ってきたけど、私たちが当たり前のように使っている日本語だって、教育の中で鍛えられ、その後の生活の中で磨き上げられてきた努力の賜物なのだと分かり、ちょっと誇らしく思えました。