時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

広島記(原爆ドームと資料館②)

これまでのお話

旅行記(広島・序章)
広島記(原爆ドームと資料館①)

本館の展示を抜け、光の指す通路をもまた抜けた先にある次なるコーナーは、核についての展示。原爆の説明や、その後の核の歴史みたいなことが中心の、ある意味勉強になるコーナー。

当時、原子爆弾が作られていることは、実は国民にも知られていたらしいけど(「少年H」より)、現地で対処に当たった医師はそれを知らされず。
当時も、原子爆弾とは言わずに「新型爆弾」だと日本のメディアは報道していたらしい。
投下16時間後には、アメリカが「原子爆弾を落とした」と発表したらしいが。

ちなみに、この原子爆弾を落とした当時の大統領は、トルーマンという男。

これまた別の本で大学時代に読んだのだけれど、この男はある日突然、大統領に抜擢されただけの男らしく。

そのため、何もない自分へのコンプレックスを隠すために、何事も即決断、即実行を心掛けて、一見頼りになるリーダーシップのある大統領を演じていたそうだ。
その本によるとね。

この爆弾投下も、実際には「アメリカ国民を守るため」「早く戦争を終わらせたかった」というものだったかもしれないが、その裏では何があったかなんて、だいたい想像つきますよね。

いずれにせよ、そんな素人大統領の下した決断のせいで、これほどまでの被害が出たのは事実。当時の広島の光景を直接見てもらいたかった。

エライ方の決断一つ、しかしその下で多くの人間の運命が変わってしまうことを、上に立つ人には常々心に噛み締めてていただきたい。

そんなことを思いつつ、資料館めぐりは終わる。

関係ないけど、戦後、数年の内に広島カープができたそうだよ。すごいよね。
ある意味、当時の方々の希望というか、そういう存在だったんだね。

 

この資料館そのものは、実は数年前に改修が入ったみたいで展示も変わったらしい。
どこがそうなのかは分からないけど。

でも全体的に、当時描かれた絵や展示の品、証言だけではおそらく、当時の凄まじさは1%程度しか伝わってこないんだろう。
どんなに手を加えても、どんなに説明を加えてもね。
(展示の仕方そのものが、なんかオシャレ感を強く出したような感じになってたし)

私が現存しているドームを見て、本物の感じがしないと思ったのと同じように。
当時の人々が見たもの、感じたものを、今の私たちがそれを同じ感覚で理解できるわけがない。
(理解と書いている自体で、もうそれまでなのだ)

体験した人の感情や、残された家族の思いは伝わっても、やっぱりね。
その体験そのものは、本人にしか分からないものだから。
それでも、そうした過去の歴史を繋いでいくことは悪いことじゃない。

そして歴史を学ぶことの意義って、結局は似たようなことを事象を変えて繰り返していることにある。
「何年に何があったか」が大事なのではなく、どういう経緯でそうなったのか。

これ、同じようなこと、今でも起きてますよ気を付けて。
歴史を学ぶことは自衛になります。

 

展示そのものは、言語なんて関係なく伝わるもんだし、説明も英語があったりガイドもある。

こういう時世だから外国の方は数人しかいなかったけど、今後、日本だけで悲しみや戦争への憎さをただ共有し合うだけでなく、海外の方にも知ってもらうことは大事だと。

いくら日本人の中だけで共有しても、結局、核を持っているのは外国なのである。
もしどこかで同じように原子爆弾が落とされた時、日本人は「何もできなかった」と悔やみ、外国からは「知ってて何もしなかった」と責められるんだろうか。

当時の方は次世代へと伝え、それをもっと外へと広めていくのは、今の世をこれから生きる我々の役目ってことでしょうかね。

 

ふう、長くなってしまったわ。

頭痛を抱えた身体で資料館を出ると、噴水があって。そこが清涼剤。
しばらくそこで立ってたくらい。

これも、あえてそこに設置したんだろうね。
正解よそれは。重たくなった気分を、清々しい水が洗い流してくれる。

噴水

もはや放水

資料館を出た後は、再び公園を巡る。

記念公園には他にも追悼祈念館や塔もあって。
そこらへんは静かな場所でした。

祈念館には追悼の空間があって、そこでは中央には小さな水のモニュメント。
熱さから水を求めて彷徨い亡くなった死没者のためだそう。

そう考えると、広島は水を大事にしているのが分かりますね。
そうだよねぇ。沢山作ってあげたくなるよ。

有名すぎる原爆の子の像は、2歳で被爆し、数年後に白血病を発症して10歳そこそこで無くなった禎子さんと折り鶴をモチーフにしたもの。

原爆の子の像

彼女の周りには、各地から届けられた千羽鶴が集う

死後、同級生たちが求めたのだそうです。

そこには各地より集まった千羽鶴が置かれてましたね。
地元小学生が平和学習で話し合いをしたんだろうと思われる画用紙なんかも置いてありました。

ちょっと前に学習したんでしょうね。
プーチンの悪口がいくつも(笑)
そしてゼレンスキーへの愛の告白もありました。

資料館にも来館者用のノートが置いてあったけど、時期が時期だったため、今の世の戦争について書かれたものが。

プーチンも、ここに来ればよかったのに」と幼い字で書かれてました。

そうねぇ、でも世の中、爆弾はいくつもあるんですよね。牽制し合うために持っている場合もあるけれど。
そうやって武力で牽制し合うしかないのは、なんとも言えないもんです。
はたして、広島で亡くなった人々の無念は届いているのかいないのか。。

前述したけど、もしどこかで原爆が使われたら、広島の方々含め我々はどう思うんだろうか。
自分たちを責めるのか、さらなる発信を進めるのか、募金を募るのか・・・

戦後も、この投下の事態に復興のため海外からの支援は沢山あったそうです。
(でも、落ちたらどうなるか知ってるんだから、そうなる前に動かないと恨まれそうだわ)

 

気を取り直して川沿いを進んでみたけれど、川べりに人が座り込んでいたのよね。楽しく談笑中。

平和記念公園は、花見する人もいれば、昼食をとるサラリーマンもいて、少ないけど当然観光客の姿もちらほら。

平和な公園の風景

穏やかな風景、こういう光景こそが平和の象徴

川と原爆ドーム

ここの川べりで座って談笑すると、必ず目に入るドーム

なんていうか、もうこの光景が当たり前なんだ。

生活に馴染みすぎている。ああ、だから本物感がなかったのか。
もう馴染みまくっていて、普通に受け入れられているのね。
ちょっと長く生きてる方が、同じフロアで働いてるみたいな。

ある意味、「平和を大事に」という願いが込められて残っているのなら、平和な公園になったことを、ドームも誇らしく立って見ているのではないでしょうか。

こういうのは、実際に見て感じてみないと分からなかった。

写真を見ても分かる通り観光客が少なかったため、ゆったりと回れました。

もう一度ドームを見てから後にしたよ。もちろん頭痛を抱えながら。

原爆ドーム

さようなら広島

補足編↓

hikikomoru-shikou.hateblo.jp