仕事の負担で心が憔悴していた初春頃、とりあえずTWICEの動画をひたすら再生してた。
その動画の中で、子どもの頃に撮った写真と同じ構図で写真を撮ろうというピクニック動画があって。
子ども時代の写真を見ると、まだ5歳くらいであっても同一人物だと分かるような、そんなメンバーもおりまして。
そんな写真を見ていると、数年前に職安にて、
「大人になると、大抵の人が顔が大きくなる」
「子役なんかを見てると、その顔の比率のまま成長した人達がアイドルとかになれる」
そんなことを、職員のオッサンがなぜか話し出した時のことを思い出すのです。
(私は、面接の不安を話しに行っただけなのに)
大人と子どもの差って、顔の大きさなんですよね。
10代くらいでも、もうすでに大人の顔の大きさになってしまう人もいれば、20過ぎても、そんなに変わらなかったり。
目の大きさは変わらないって言うじゃないですか。
顔の余白が広がる分、比率として目が小さく見える。
だから大人は可愛くなくなると。
子どもって顔がギュッと詰まってて、大人になると間延びして見える。
だから顔を見れば、大人か子どもかが分かるんですが。
でも、やはりアイドルたちは顔が小さいままだから、どこかベビーフェイス。
そして、我々大人も目を盛る。
かつての比率に近づけようと必死。
化粧って、バランス補正なんだとつくづく思います。
ということが気になったからというわけではないけど、興味深い本があったので借りてきたよ。
「私の顔はどうしてこうなのか」という本。
まあ、単純な話、国や地域によって見られる顔の特徴ってのは、地域によって異なる環境や食べ物によって上手く対応できるようにしてきた歴史というのがありまして。
突然変異が起きた個体の方が生き延びやすかったというのが繰り返され、今の遺伝的特徴になったそうなのです。二重とか一重が有名ですね。
でも、それも随分と昔の話。
本文中にもあったけど、例えば私は、親知らずが綺麗に横に向いて埋まってるのですが。
(レントゲンで初めて見た時の衝撃)
(お前は、一体なぜそんな所に?)
(いつかはどうにかしないといけないんでしょうけど・・・恐ろしい)
本来なら親知らずがそんな状況で埋まってたら、いつしか隣の歯を圧迫して、それが元で亡くなってた時代もあったはずなのです。
でも今は技術が発達してるから、そんな欠陥とも言える親知らずを持つ遺伝子でさえも残っていけてる、という。
医学や技術の発達は、そんな生きるのに不便というか致命的な遺伝子であっても淘汰されないという、ある意味、長い地球の歴史から見たら不自然な状況をもたらしているわけでして。
そのおかげで、いつか親知らずに泣く私がいるという。
親知らずに泣かない人類は、きっと人類が続く限りいなくならないみたい。
この本を読んでて個人的に衝撃だったのは、髪の毛が排泄器官だったということ。
有害なものを髪の毛に取り込んで、抜け落ちることで排出してるらしいです。
だから気分を変えるために髪をバサッと切るのは、気分の問題ではなくガチのデトックスだったという。
いやぁ、初めて知りました。
あと!
私たちの前歯って、内側ってちょっとカーブしてるというか、なんというか、まっすぐじゃない感じ。
真ん中部分が凹んでるというか。くぼみ?になってるというか。
(私の好きなドライいちごが入ってるホワイトチョコを食べると、いつもその窪みにいちごが残る問題はこのせいだ)
それって当たり前にあるものだと思ってたけど、これは実はアジア人特有らしくて!
他の地域の方たちは全くないって訳ではないけど、そんなに目立たないんですって!
よく顔の造りや骨格が地域によって異なるのは知ってたけど、歯の1本1本にも特徴があったことには驚きでした。
でも、これもあれも、どれも遺伝の賜物。
意味があっての、今の顔なのです。
こういう人類学に触れると、必ず同じ個性・意見だけが存在するわけがないってことが理解できるものです。
なるほど、人類学は興味深い学問です。