時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

気を遣っただけなのに

あーあ、こんなことなら、気なんて回すんじゃなかった。

仕事にて、午後から使うノートPCの準備をしてた。何のアプリケーションを使うかは聞いてないので、一通りの動作チェックを複数台のPCに。
すると一つ、読み込み中のまま、一向にログイン画面に進まないアプリケーションが見つかった。

ネット回線の問題かと思ったが、ネットそのものにはつながっている。アクセスも通常通り。ならばこれはアプリ側の問題かと、使用予定のないPCを立ち上げてみると、あっさり進んだ。それならPC個別の問題なのか。
もちろん、有線ケーブルに変えたり、自分のデスクトップで試しても結果は同じ。
はあ、と思って上司に伝えたところ、「え、今ネット回線がおかしいから、動かなくて当然よ」と一言。
さらには、「そのアプリケーションは今日は使わないのに、なんで立ち上げたの」的なことまで言われる始末。

その場ではさりげなく、「知らなかったもので」と言って逃げたが、後から湧いてくる思いは、「それならそうと、分かっている時点で伝えてほしかったわ」という思い。
そして「こんなことなら、気なんて回して動作確認なんてしなけりゃよかった!」という悔しい思い。

使うかは分からないが、それでも念のため確認しただけで、まあ言ってみれば不要な行為だったし、わざわざ異常を伝える義務はなかったのに、それでも必要なことだと思って伝えたのに、この始末。
怒りなんてのは最初だけ。しばらくすると、悔しさと失望で涙が出たわ。
実際のところ、原因は単なるネットワークの障害だったと一斉通知があったけれど、一足遅い。傷ついた私の心が。。

 

こうやって、人は純粋な気持ちからの行動を、時にセーブするようになるのです。
自分が気を回した行動や善意の気持ちが、拒否やお咎め・注意で返って来たという経験を積んで、人は動かない人へと成長してゆくのです。
これは学習です。真面目な方ほど、そうやって学習してゆくものです。

ま、ひとしきり泣いたら「まあええか」と思えるようにはなるけど、一度経験した体験・記憶はメモリーとしてずっと残っていきますので、何かそういうことがあるたびに、一瞬、自らの動きにセーブを生んでしまうのです。電車で席を譲る時の葛藤みたいな。

後腐れないようにするには「気を回さなければよかったです」と相手に伝えることです。
「そうだ、余計なことはするな」と相手は言うかもしれませんが、フォローしてくれる場合や提案をしてくれる可能性もあります。相手方はこっちが善意で行ったことを知らないかもしれないので。
すると、相手は向けられた善意を振り払ってしまったと、相手の心に一筋の影を向けることにもなりますので、それはそれで一つの復讐になるでしょう。
自分は傷つかない前向きなやり方です。いじけてみるのも、ひとつの手です。

なんにせよ、こっちの思いを伝えることはコミュニケーションとして大事なので、次に機会があれば伝えられるようにしよう。

ということが、出来事が起きて30分以内の私の気持ちの変化。
ちょっとやさぐれましたが、結果的に短時間でいつも通りの自分に戻れたので、良しですな。いやー切り替えが早くなったわ。