時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

表現する手段は、それぞれだ

久々に、カウンセリングでの話でも。

昔から自分の意見を他人に伝えるのが苦手で、発表とかが嫌だったという話をしていた。

しかし中学くらいから、その風向きが少し変わってきた。

誰も何も言わない沈黙の時間が、居心地が悪いと思うようになったからだろうか。

小学校の時は、基本自分から手を挙げて発言することはなかったのに、中学の英語の時間、英単語の意味を手を挙げて発言していた記憶が、今でも残っている。

 

そして高校時代は放送部に入っていて、運動会などの司会をしていた。大学では、すぐに辞めたけどコーラスをやってた。

そうした話の中で、「表現することが好きなのですね」と先生からコメントされた。

 

・・・よく考えたら、そうかもしれない。

昔はともかく、今は踊りも好きだし(人前では踊らないけどリズムには乗りたい)、子どもの頃から手芸工作は得意だった。

今でも歌を歌うことは好きだし、ピアノの発表会は練習は嫌だけど、当日のみ張り切るタイプだった。

なるほど、表現か。

確かに、自分の言葉で自分の思いや気持ちを伝えることは大変苦手だけど、それ以外の表現は好きかもしれない。

なんだかんだ、洋服を着ることも好き、人に似合うものを選ぶのも好き。

なるほど、思いを言葉で伝えられない代わりに、それ以外のやり方で自分を表現することに力を伸ばしたのかもしれない。

まあ、そういうものだよね、気持ちを直接伝えられないからこそ、短歌に始まり歌、踊り、絵なんかがあるわけで。全て、気持ちを伝える表現方法だ。

言葉で言えなくても、いくらでも表現する手段はあるということか。

なんか、納得。

 

コミュニケーション力というと、つい言葉ばかりに気を取られるけど、本当はもっと広い。

言葉だけだと、言語が一緒の人とでしかコミュニケーションが取れない。しかし、人にはジェスチャーを取れる身体があるし、表情もある。

意外と絵で伝わるという話もある。

芸術は言葉を超えるし、言葉ばかりをコミュニケーション、表現の手段として重きを置くより、ずっと自由だし気楽でいい。

 

表現、コミュニケーションは言葉でなくたっていい。

しかしまあ、仕事の現場だと、やはり言葉を使ったコミュニケーションは大事なわけで。

今、それを少しずつ慣れようと頑張っている。

 

ついでに先生に聞いた。

学生さんなんかでも、相談に来られるのかって。

答えはイエス。10代の子もわりと来られるそうだ。

「若いうちから、自分をよく理解して、しかも相談なんて行動に出られるなんてすごいですね」と言えば、そういう「自分に向き合う時期」というものが誰にでもあって。

たまたま学生時代に、そうしたタイミングが来る子もいれば、60過ぎてからようやくタイミングを見つけられる方もいる。

だから、遅いとか早いはないと。

私は昔から、自分の面倒な部分を知っておきながら、騙して、気付かないよう気付かれないように生きてきたけど、20代半ばでダメになって、5年くらい前から向き合う時期に入り、今実践の途中ってことらしい。

 

本音を言うと、もう少し早くに、その向き合うタイミングがあればよかったけど。

・・・いや、あったはずなんだわ。でもその当時、随分擦れていて、「どうせ私の気持ちなんて誰にも分からん」と吐き捨て、世の中をそんな目で見ていたから、誰かに頼るなんて、考えることもなかったのよね。

みんなそうした部分、自分を過信してたり、周りが信用できなかったり、そうした時があるけど、おそらくどこかの時点で、折れる時期が来るんだと思う。

この前のご先祖の会でも、今まで海外でバリバリ仕事をしてこられた方がいて、今のこのタイミングで退職、失恋、全財産も失うという極限の体験後、スピリチュアルの学びを始めたと言っていた。

感染症騒動の近年、そうした今までの価値観を変えざるを得ない出来事に直面し、岐路に立たたされている方も多いんだろうな。

 

いろんなタイミングが、一度に来ている時期なんだと思う。

 

でも、世の中が大きく変わる時は、戦争だったり不況だったりと、そうした引き潮の時期があるものだから、まあそういうものだと受け入れるしかないよね。