時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

社会の部品

今日、職場にて言い渡されたこと。

手が回らない部署へ、ヘルプで入ることになった。


ヘルプなんて言葉がいい。一言で言って、回されたのだ。


それを聞いた時、私は悔しかった。

片や同僚はヘラヘラ笑ってた。


いつものとおり、上司の指示に、まるで子供のようにハイハイハイハイと。

甘ったるい子供向けアニメみたいな声をしているから、余計に鼻につく。

普段は別にいい。でも、今日ほどその同僚の態度に、煮えくり立った日はない。

 

これがね、あなたたちの腕を買って、とか、勉強のため、だとか。そんな理由ならまだしも、「どうせアンタら暇でしょ」みたいな、そんな理由で抜擢されたことが悔しい。


都合のいい部品のように扱われている。言葉にはしてなくても、結局そういうことなんだ。

だから、私は悔しかったし、惨めだったし、情けなくて、その後、必要最低限の言葉しか発さなかった。顔も見なかった。

それに比べて、ヘラヘラしてた同僚(40代女性)は、いつもの通り、命令なら何でも聞くよ!みたいに。


時折笑いさえ浮かべ、調子よく話を合わす。

プライドってものがないのだろうか。

私は、悔しくて、今になって泣いているというのに。

 

そりゃ生きていれば、命令に従わないといけないことだってある。

何でもかんでも、自分らの思い通りにいくわけじゃないことも分かっている。

お勤めしている以上、上からの命令は、基本絶対だ。意見することはあっても。

でも、それでも、自分にとって複雑なこと、本当は嫌なことを、ヘラヘラと愛想までつけて付き合ってやる必要なんてある?

せめて、神妙な顔をして、真面目に対応してよ。笑う必要なんてなかったでしょ。笑う場面でもなかったでしょ。

もう、心が複雑すぎて、私は一日中拗ねてたよ。

 

相手をもてなすとか、持ち上げるとか、そういう円滑に進めるために笑顔を作るのは別にいい。

でも、自分が馬鹿にされている、虐げられているのに、それを笑うなんて。

 

確かに、昔の私だったら、そういうことをしたかもしれない。

惨め、恥ずかしい、今回みたいに強制的にやらされることを、今までの私だったら、私もおどけてピエロを演じてたんだろう。

 

本当は悔しくて仕方ないけど、凹んだり惨めな素振りをすると、ますます惨めに見えそうで、あえておどけて見せることで、「なんでもないよ、私は平気だよ」アピールをしていた。

傷ついた私を見られたくない。同情されたくない。何も気づかない鈍感なフリをして、お気楽人間を演じるのだ。

 

同僚がどういう意図で、そうした振る舞いをしたのかは分からない。

本気で笑っていたのかもしれない。喜ばしいことだったのかもしれない、彼女にとっては。それだったら、奴隷と変わらないじゃん。

 

そんな奴隷はおいといて、もし、私が同じように笑うとしたら、きっと上記のような気持ちが裏にあるからだ。というか、あった。かつて。

でも、今はもう。

そんなおどけたフリすら、できないよ。それはそれで、惨めだもの。


こうした場面で、毎回そんな思いをするくらいなら、感情なんて捨ててしまおう。

自分の思いをいちいち拾ってたら、身が持たない。もう全て諦めた方が、楽に生きられる。

何を言われても、何も思わない、何も湧いてこない機械の人間になろう。

 

こうして、社畜が生まれていくのだと悟った。