時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

荒れて消沈、日曜日

金曜日は、まあ自分の中で荒れに荒れた。

私の場合その荒れは、不機嫌になる、そっけなくなる、口調が冷たく厳しくなる、泣く、大声を出したくなる、一人になりたくなる、物に当たる。

そういった態度に表われる。

 

それを自覚したのはつい3年ほど前。

それまでは、そんなに荒れることがそもそもなく、自覚のしようもなかった。

あらゆる気持ちを自分の中に隠すことを当然としていたので、泣くこともなければ、
人に当たり散らすことも、大声を出すこともなかった。

まあ、ちょっとは不機嫌になったり、無口になったりくらいはしていたかもしれないが。

 

それがまあ、感情というものの重要性を発見してからは、できるだけそれを拾おうとしている。

自分を海に例えると、今まで海中で何が行われていようとも、海の上だけは静かで穏やか。だから、海中で何が起こっているのか興味もなかったし、海中に何があるのかすらも知らなかった。

感情が荒ぐこともなく、荒んでいたいたとしても、あくまで海中の中だけだったので、そこを潜って覗いてまで見てみようなんて思いもしなかった。

そもそも、潜り方すら教えられたことはなかった。

今だって、正しい潜り方を知っているわけではない。

 

話が逸れた。

そう、だから今は、ちょっとしたことで心乱され、簡単に無口になるし、不機嫌になるし、冷たくなるし、大声を出したり物に当たったりしたくなる。

まるで子どものようでしょ。そう、感情という海の航海を始めてから、まだ年月が経っていないのです。


我ながら大人らしくないと思いつつも、自分の中に荒くれている波を抑え込んで、平気な顔をして普段通りに対応するなんて無理。

ここはもう、仕方がないと開き直っている。

それに別に、そんな態度しか取れない自分を、私は1ミリも責めてない。むしろ歓迎だ。やっと人間らしくまともになったと、喜びさえしてる。

なんなら、もっと怒りたいし、もっと泣いてしまいたい。泣くことは快感でもある。

 

・・・・・・・


そもそもね、金曜のことだって、もともとやりたかったというか、使命?感じてた仕事を「アナタは別の仕事が入っているから」という理由で切り離されて、その段階で、どうにか自分を鼓舞しようと色々言い訳というか、ささやかなフォローを試みていたわけよ。


その段階でも結構キテたのに、その後、どーんと「その仕事が終わり次第、手が足りないところに行って」と告げられ、突き落とされたみたいになって。

もう、完全に消沈してしまった。その消沈の時に、同僚が笑いながら話を合わせるかのようにお気楽にいつもどおりヘラヘラとふるまうから、私のカンに障ったわけ。追い打ちにさらに追い打ちかけてきた。

処理して自分をうまく納得させる前に、そうやって次々とジャブを食らわせてくるから、もう、ふさぎこむ→無視を決めるしかないよね。

 

でも、そんな不機嫌な態度を取ったからといって、物に当たったり一人になったところで、湧き上がった感情(特に怒り)は簡単には消滅しない。むしろ、残り続ける。

怒りの解消とはよく言ったもので、感じたその場で爆発させない代わりに、どこかで爆発させないといけない。その場でたまたま爆発しなくても、その爆弾は消えずに残り続けるのと同じ理屈だ。

 

その処理の方法はまた後で書くとして、今、私にできることは全てやった。

怒りも十分分かっているし、悔しさに涙も流した。惨めな思いも分かってる。

こうやって書いて、冷静にもなってみた。ついでに日曜に神社へ行ってお参りし、少し泣いて気分も落ち着いた。甘いご褒美も買ってあげた。そして食べ過ぎた。

まだ、吐き出し足りないし、怒りも表現しきれてないと思うけど。

それでも、できうることはやったの。もう、あとは、時間が解決していくしかないじゃない。

 

怒りがどのように和らいでいくのか、風のようにさらっていくのか、知らないけど。

もう、これ以上できることが思いつかない。

これでいいのだ。

 

あとは、眼科の件と同じように、うまいこと導いてくれるよ。

やれることはやったのだ。