手ごたえも新鮮味もない英語の行く末

職場の斜めの席に座っている40代の女性(主婦)が、英語を勉強している。

通勤の車では英語のラジオを聴き、昼休みは20分ほどテキストか何かをイヤホンで聞きながら勉強している。


1年前、私も興味が出たから同じテキストを買ってみたけど、結局続かなかった。

当然、喋ることもできない。

聞き取ることもできない。

 

学校で、最低でも6年間はやったはずなのに、これほど身に着かない学問というのも珍しい。

英語の授業なんて、毎日1時間はあったはずなのだ。さらに予習なども含めると、ほぼ毎日、英語に触れていたはず。

 

毎日6年間、何かを継続してやる、それ、他のことだったら、結構なことじゃない?

楽器だったら相当上達しているだろうし、スポーツだって、まあ試合ができるくらいにはなっている。

それなのに、どうして英語というものは、こんなにも0から進んでいる気がしないのか。

まあ、聞きなれない、んだとは思う。

楽器だってスポーツだって、それなりに続けていれば、手ごたえというものを感じてくる。


昨日より、やりやすくなっている、とか。なんか身体が付いていく、とか。

そういう、慣れみたいなものが体感として分かる。

勉強だって、ものによっては、そういった体感を得やすいものってあると思う。例えば、数学とか。得意ではないけど、それでも数をこなせば、なんかできるようになる。

でも、古文漢文もそうだったけど、英語も含めて、まったく手ごたえを感じなかった。

 

ただ、習って、それを理解しただけ。

そこから先に行く前に、また別のことを習うために予習して、習って、理解するだけ。

終われば、また予習して習って、理解。

これを6年間繰り返してただけ。

これじゃ、手ごたえを感じなくてしょうがない。

 

苦手だった古文漢文も同じ。手ごたえを感じる前に、終わってはまた別のことを習う。ただそれを繰り返してきただけ。

じゃあ、どうすれば手ごたえを感じられたのかって言われると。。。分からない。

 

予習して、習って、理解する。これだけで日々、新しいことを学べただけで手ごたえを感じられた人もいただろうし。

じゃあ、私の場合、どうすればよかったのだろうって。考える。

 

ちょっと昔の愚痴話をひとつ。

あのね、英語にせよ、漢字にせよ、単語テストってのがあって。

それが、毎回の授業の初めにあった。点が低いと、たぶん補習。だから、みんな行間の10分休み時間に、単語帳をひたすら覚えていた。

当時もそうだけど、ほんま、無駄やと思う。あんなの、短期記憶を鍛えるだけの、単なるトレーニングだ。

 

あの小テストで覚えたものなんて、まったく残っていない。

ただ、記憶して、そして忘れるという、まさに短期記憶の筋トレのようなもの。

しかも、それを高校でやってたからね。

この年になって、そんな無駄なことさす?と、今でも腹が立つね。

 

貴重な勉強時間を、ただ単語をその場で覚えてすぐに忘れるために使っていたなんて。

馬鹿らしい。

こういうことをしてるから、いつまでたっても、日本人は頭悪い人が多いのだ。

ま、どうせ勉強させるための、学校側の対策でしょうけど。

だからこそ、腹立たしい。

 

手ごたえを感じる勉強の仕方か。。

 

今更、6年間もやって新鮮味のない英語を勉強するのも、なんかなぁとは思う。

もっとこう、勉強って、わくわくするもんじゃん。

特に新しいテキストや本を買って始めた頃って、新しい知識や世界が広がっていく感じが楽しくて、心の底が熱くなってくる。あの感覚が好きなのに。

 

英語って、もうその新鮮な熱さ、わくわく感がないのよね。

テキスト見ても、もう知ってる。分かってる。だから全然、楽しくない。苦痛だけ。

だから、もし英語をやるってなると、今までとは違うやり方でないと、きっと自分が乗ってくれないと思う。