時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

脱カーディガン、自由へ

カーディガンを着なくなってから、私の私服はカジュアル化が進んだ。

ここ最近買った服は、全てフードがついている。

 

もうカーディガンを着るコーディネートに飽き飽きした私は、思いっきりカジュアルに走っていることを自覚している。

でもいいのだ。お上品な服装は、もう気分じゃない。

 

そもそも、最近売っている服って、全てが大きい。デカい。ブカい。

パンツだけ、トップスだけ、ならともかく、パンツもデカけりゃニットもトレーナーもパーカーも、なんならスカートすらデカい。コートもデカい。

もう、お店ひとつを見渡してみても、とにかくデカいものしか売っていない。
これは、私が小さいことを多少引いたとしても、あまりにもデカすぎる。

いつから日本人はこうも巨大化した?と思えるほど、大き目の服が売られすぎている問題。

 

私の脱カーディガン、脱細すぎるパンツ(細いと曲げたとき膝が痛いのだ)、少しは余裕のあるゆとり服も身長低くても着られるよねーと視野が広がったここ1年ばかりの私だが、やはり売っているものの大半は大きくて困っている。

いや、確かに体型としては小さいけれど、決して細くはないのだ。とくに上半身は、華奢とは言えない迫力がある。

下はSでも上はMという体型だけれども、それにしてもデカすぎるトップスの多いこと多いこと。

コンパクトなものも勿論売っている。でも、手に取れるほど興味を引く、そんなデザインや色をしたものが、なぜかどれも大きいのだ。


ネットでも買いやすい、失敗しにくいフリーサイズがもてはやされているのは、分かる。

同時に、小さめな服を売っているオンラインショップが増えているのも事実。

 

今にして思えば、クラシックなカーディガンは、コンパクトな作りのためか、小柄な人には随分頼もしい洋服だったらしい。

丈も短く、視線が上がり、いわゆる足長効果。

小さい人間は、とにかく上に視線を持っていけと言われる。

裾はインしろ、細身のパンツを履け、スッキリと髪はまとめろ、ヒールのある靴を履け、だが高すぎるヒールはNG、挙句の果てには、大きなカバンを持つな、だのと、とにかくお節介な指示が多い。

 

でも、今の流行はカーディガンのようなコンパクトかつ保守的な服ではなく、その正反対。ある意味、小柄人間にとっては、危機的な流行ではある。

しかし、逆に考えれば。

 

そんなお節介な指示を無視してもいい、そんな状況になりつつあるのではないか。

小柄だから、必ずしもピッタリ目な服装でなくてもよい。

スニーカーが流行れば、必ずしもヒールだけがお洒落ではない。正義ではない。

たかが洋服、もっと自分の好きにやってもいいんじゃないか、そう思えてくるのだ。


実際、ネットで調べれば、大きい服を可愛いらしく着ている小柄人間なんて山のように出てくる。

20代の自分って、如何に細く見えるかが大事だった。
(小さいけど細くはない体型が劣等感を生み出していた)

本当に着たいデザインや着合わせより、少々ダサくても細く見えさえすればいいと思っていたせいで、服を着ることは楽しくなかった。

スタイルがよくないと、好きな恰好ってできないよねって、諦めてもいた。

だからカーディガンばかりが手元にあった。

 

体型は、結構大きなコンプレックスだったのだ。

20代の頃は、周りの同世代がみんな、当たり前のようにほっそり、足も長かったしね。

今では、同じ年代の子ばかりが揃っている環境なんてそうないから、もう体型なんて、あんまり気にならない。

結局、おばあさんが一番、筋肉も脂肪も落ちて細くなるのだから。

コンプレックスの発生は、同じ年の子らが集まる環境からなんだなーと。

 

そういう体型コンプレックスが楽になったら、今では好きなものを選んで着られる。

それでも、世の中には大きすぎる服ばかりがあふれているけども。

 

ここ最近の大き目トップスの流行のおかげで、自分の小ささもだけど、何より自分の足の細さを実感したね。

思わぬところで収穫があった。

物事は、いい方向に考えよう。