とにかく、目的を持っての行動っていうのが、恥ずかしくて仕方ない。
例えば買い物。スーパーとかでならともかく。
洋服を買いに行ったときとか。
事前にネットでチェックした目的のものを探しに来た時の気持ちも似ている。
チェックしているから、それを見つけて買えばいいだけなんだけど。
めっちゃ探してるのに、偶然見かけたみたいな体を装ってしまうとか。
あれ、なんなんだろうね。
こうこう、こういう服はありますか?って言えば、すぐに見つけ出してくれるのに。そのために、ネットでは商品コードが公開されているのに。
いつも、店中を時間かけて探しまわってしまう。
素直に、これを探していますって言えば話は早いのに、偶然見つけたフリをするために自力で探す。あるいは、場所が分かっていても、すぐにはそこに行かずに、一通りを見て回った後に、やっと近づいていったり。
それは、事前に調べてきたって思われるのが、恥ずかしいから。
ちゃんと用意してた、そういう努力を知られるのが恥ずかしい。
あ、なんだ、この人めっちゃ準備してきてんじゃん、本気じゃん、みたいな。
うーん、じゃあ、全力で何かしてる人間を、私は恥ずかしいと思うのか、ってことになるんだけど・・・
全力でやってる人って本来なら、カッコいいはずよ。
それこそ、この道一本でやってます、今回のに賭けてます、そういうのはむしろ素敵だと思うのに。
偶然、ちょっとやっただけでいい点数とった方がカッコいい、みたいな。
めちゃくちゃ勉強してテストに臨むのが、ガチすぎて恥ずかしい、みたいな。
でも、必死な親を見ていて、子どもの自分は恥ずかしかった。
意図、つまりは、本心。
本心を見透かされるのが、嫌ってことかもしれない。
めっちゃ勉強頑張る、その本心は、いい点が欲しい。
その本心を知られてしまうのが、ちょっと苦痛。
見透かされなくても、見透かされそうだって自覚するだけで、抵抗がある。
いい点が欲しい、その本心はいいとして、それを他の人にも分かるような形で外に出すのが、恥ずかしい。
それこそ、余裕ぶっこいて、別にいい点なんていりませんよ、なんて言ってる方が、マシに思う。
ここでね、「いえ、本心に正直な方がカッコいいのですよ」だとか、「本心と違う態度をとっている方が、ダサくてみっともないのですよ」だとか言われても。
「いえ、確かに、そうかもしれませんが、私の感情の世界では、そうではないのです。
そうあってほしいのですが、どうしても、それが抵抗あるのですよ」と言いたい。
結局、それが、婚活=恥ずかしい、につながっていくんだよな。
なにこれ。ほんと、これは一体、なんなの?
自分が恥ずかしい存在だと思っているから、自分の考えていることが他人に知られるのも恥ずかしい。
できれば、そんな恥ずかしい部分は、隠しておきたい、見つからないようにしまっておきたい。
まあ、日本人って、元々そういうところ、気質みたいなのがあるよね。
本心を知られないように、というか、顔に出さないように、みたいな。
それこそ、本音は心の内にしまっておく、だとか、墓場まで持っていく、だとか。
何事も情熱的になるより、少し控えめにしておくのが美徳だと思われている。
それだって、そういう態度が奥ゆかしくて美しいというより、みっともない、恥ずかしい、から来ているようなものかもしれない。
確かにね、ガツガツしてるより、ちょっとスンとしてる方が、より日本人らしいともいえる。
そう考えると、欲望に対して素直にならないのも別に悪くないんじゃない?とすら思えるけど、どうなの?
都合のいい時だけ、大和撫子ぶる。