時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

じゃあ、結局どうすればいいのか

前回から続く
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いろいろな感情を出して理解した今、特別恨みを引きずっているわけではなく。

それを理解したから、ある程度収まってはいるはず。その時は、それなりに大きな感情の波があったが、支えてくれていたことにはありがたいと思うし、何より頼もしかった。

 

先にも書いたが、ずっと親が支えてくれていたと思っていたものが、実はその多くが祖母からの支えだったことに気付けたのは最近だ。

親は、あまり自分に対して何かをしてくれた感じはない。身近すぎて見えなかったのかもしれないが。

だからこそ、多少干渉のしすぎであっても、確実に行動してくれた祖母は頼もしかった。結構、頼りにしてたよなって。心配してくれていたのも分かっている。

だからなのかね、1年ほど前に、わりと霊感というか、そういう力を持っている人に会った時、「丸い顔のおばあちゃんみたいな人の顔が見えた」と言ってくれた。すごく心配していると。

それを聞いて、まあ、すぐに祖母だなと思ったのは、やはり無意識で思っていたからなんだろうな。

でも正直、その心配は重荷でもあるんだけど。

 

ちなみに、母親のことも言っていた。

どうして接していいか分からない、と。戸惑ってるよお母さん、みたいな感じで。

ええ、きっとそうだろう。子どもが引きこもれば、そりゃ多くの親は、戸惑うだろうから。それを分かっていて、続けていたのも事実なんだけど。

そうであっても、母親は戸惑うばかりで何も役に立たなかったな。「仕事せんなら結婚するか」なんて、現実味のない絵空事をほざく始末。

それなら紹介の1つもしてくれればいいのに、いざ「そんな人がおったらな!」と言い返せば、そのまま何も言わなくなった。

所詮、人脈も何もない母親に、そんなことできっこないのだ。口だけ。しかも、痛いところをこっちも分かってて突くのだから、本当、母娘関係は厄介だ。というか私がめんどくさい娘なのだ。

 

それに比べて、祖母はもう少し、現実的なことを言ってくれていたし、やってくれる。

頼もしさが違う。

この母も、昔は祖母の強い影響を受けたまま、これまで成長してきたんだろうな。きっと母にとっても、頼りがいのある母だったんだろう。

私は、祖母じゃなくて、親に何かしてもらいたかったのかもしれない。それを、ずっと待っていたのかもしれない。でも、結局、そんなものはもらえなかった。

くれそうになっても、私にもプライドがあって、素直に受け取れずに突っぱねてた。強く言えば、引き下がるんだから。そういうのも含めて、試していたのかも。

我ながら、子どもっぽさがそこに凝縮されていて情けないけど。

これじゃあまるで、親を心配させてやる!と言って、遅くまで家に帰らない子どもみたいじゃない。あの頃体験しなかったことを、20代~30代で経験するなんて。

もう本当、自分の隠しておきたい恥ずかしい部分を、書きまくっている。口では言えないが、文字では雄弁だ。この手の話はいつも書きつつ、泣いている。文字じゃなけりゃ、素直になれない。

 

同時に心が痛い。

自分のそんな子どもっぽい意地のために、自分の幸せの可能性を少なくとも1つ以上は潰しているのだから。どうすれば、解決されるのだろう。

こうやって、原因探しはできるけど、じゃあ、そっからどうすれば現実的な解決に自ら導けるのか。

原因を見つけなくても、やれる人はやれる。そんな面倒な間違い探しなんてしなくても、やればいいじゃん。

結局、やりたくないという結論があって、なんとかやらなくてもいい理由を探して、ほじくりまくって生み出して、人のせいにして、自分を理解したつもり?

 

・・・おっしゃる通りです。

結局ね、うまく自然にやれるようになればいいのよ。

もっと、自然に、思ったことを実行、実現できるようになりたい。

イデアは出てくる。でも実現が遠い。臆病なところや無駄に先のことを推測してしまうことに、厄介さがある。

どれも場合によっては役に立つけど、今の所、メリットを感じえない。少なくとも、思った妄想を実現させていきたいという、私のこれからの目標に対してプラスに働くとは思えない。

軽やかになりたいからこそ、こうやって中に潜んでいるモヤモヤした思考を出していきたいと思って書いているのに。

私が知りたいことは、その人の中の思考や過程の部分。

中身の思考は私も表現できて誰かに伝えることはできても、そんな状態で、どうやって1つずつ行動に置き換えていくのか、

どう進めていくのか、私も今、それが知りたい。