時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

ガッカリしたくなかっただけでした

ここしばらく、本音をストレートに出したり、目的を持った上での行動が、恥ずかしくてしょうがないって書いてきたけど。

 

なんか、分かった。

書いてて、閃いた。 

 

ああ、結果が手に入らないことが、恥ずかしいのか。

ガッカリしたくないのか。

 

目的をはっきりとさせず、そこに本気でなければ、いくらでも逃げ切れるもんな。

自分の心に言い訳だってできる。

 

できなかったとしても、別に本気じゃないから、そんなこと考えてないから、別に平気。傷ついてなんかないし。

そう思えるんだ。

 

ストレートに目的を手に入れるために動くってことは、そんな自分を今まで守ってきた防具を、全て脱ぐってことだ。

 

守る手段だった言い訳も、全て手放すことになるんだ。

 

そりゃ、嫌だって抵抗の気持ちも湧くし、恥ずかしくもあるよなぁ。

特にそれを他人に公言なんてしてると、叶わなかったとき、自分もガッカリして辛いのに、それを他人にも知られることになる。

慰められたなんて日にゃ、叶わなかったという事実から、逃げ切れないよ。

徹底的に打ちのめされる。

 

だから、人に知られるのも嫌だったんだ。

何でもないフリを、他人の前でもしなきゃいけなくなる。

 

守ってきた部分が大きいほど、それを捨てるのに躊躇する。

そういうことだった。

 

 

 私、ガッカリした気持ちを味わいたくなかった。

悲しい気持ちや、屈辱さえ、感じたくない。それらを感じてしまうことで、その悲しみや屈辱を受け入れることになる。認めてしまう。

 

すると、なんか負けた気がする。

 

だからこそ、恋愛とか就職活動とかが苦手。

だって、どれもハッキリとした結果が付いて回る。結果から、逃げられない。白か黒か、どちらかしかない。

 

私、仕事を辞めて1年以上くすぶってて、やっとの思いで応募した仕事の面接で不採用もらった時、なんでもないフリをしてた。

むしろ、喜ぶフリさえした。不採用だったから、また無職生活ができるって。

そうでもしないと、体が無音状態から解かれなかった。思考の停止は、圧倒的なショックから自分を逃がすためだ。

 

でも、本当は悲しかったんだと思う。

どこかで、これでこの無職生活が終えられるって、期待してたから。もちろん、不採用だった以上、それを認めることはできなかったけれど。

感情の揺れ動きが、とてつもなく恐ろしかった。これを認めてしまうと、自分が惨めで仕方がなかった。

 

そのあと、2年以上引きこもり生活を続けていたある日、夢に見てしまった。

もう一度、面接に行く夢を。再チャレンジの夢だった。

 

そんな夢を見た後に、私は初めて悔しかったことを自覚した。

自分が落ちて、他の人が採用されたことを初めて悔しく思った。それまでは、そんな気持ちなんて湧いてこなかった。

 

遅いよね、めっちゃ遅い。今さらってカンジ。

2年もの間、ずっと本音をしまい続けてきた。

 

顕在意識の自分では絶対に認めたくなかった。気付きもしなかった。だから、とうとう夢の中で、潜在意識に語りかけてきた。

 

すごい自分ネグレクト。

 

これが、私が結果から目を背けているレベル。

目的・意図を持った行動が恥ずかしく感じられるレベルがこれ。

 

相当でしょ、普通の人だと、こうはいかない。

もっと早くに、悔しいって泣けるし、人にも話せるよ。

 

私の場合、単位を落としたこととか、仕事であった嫌なこととか、失敗した恥ずかしい話すら、友人に話すことができなかったくらいだし。

 

だから、ずっとそういう、自分の中でのタブーを誰にも触れない場所へ封印し、自分も近づかないようにしてた。

 

 夢で見たのは、そんな封印の場所の許容がとうとう耐えきれなくなったから、なのかもしれない。