相手がどんな人か分からないから、結婚できない。
こんな人、もっといると思うけど。
実際、つい最近結婚した友人も、全く知らない相手と1から関係を築いていくことに限界を感じ、お互いを予め知っている同級生や先輩相手に切り替えた。
全く知らない他人より、多少の共通点がある相手の方が、彼女には合っていたらしい。
結局、元職場の先輩と結ばれた。
それまで付き合っていた彼とは、婚約に至った段階で別れた。
彼が今まで嘘をついていたことが、一気に明るみにでたらしい。
5年以上長く付き合って、所々、怪しい点はあったものの、そのまま婚約した後に、全ての嘘が解けていくかのごとく判明したのだそう。
付き合いは、年月ではないんだなと分かる例だった。
そういう意味では、私が相手に求めるものというか、その最低条件は、身元がちゃんと保証されている人、ってことになる。
借金、資産の有無。こういったところが常識の範囲内であることが、最低条件、というよりも、ここさえしっかりしておけば、他は何だって問題ない。
しかし、そういう自分の思惑を抱えてるっていうのは、なんとも計画的なような気がして、気が引けるのだ。
私は、そもそもそういう計画的なのが苦手なわけで。
運命とか愛を信じたい、のではなく、自分から目的を持っての行動が恥ずかしくてできない、というものだ。
計画的というか、計算高いというか。
そんな、意図を持っての行動に、ある意味あざとさのようなものを感じてしまう。
逆に言えば、そういう計画や目論見、思惑なしに、なんとなく普通にやって、思いもしない結果がやってくるのが理想だ。
裏がある、とまでは言うつもりはないが、そんなやり方に抵抗を感じてしまう。
うーん、素直さがないというか、無垢さがない?
ほら、ここで、いろいろの定義が大人バージョンにアップデートされていない問題が湧き上がるのだ。
子どもの定義のままでは、自分の意志をもった行動すら、裏がある、いやらしい、ということになってしまう。
大人の、社会人の、商売や計画だとか、丁寧な物言いの裏に儲け話を潜ませてありますよ、みたいな駆け引きのようなものに、抵抗、恐れというか。
大人の嫌な部分を見ちゃったなーみたいな。
大人の汚い部分。
大人にとっては普通のことかもしれないけど。
私はどちらかというと、お上品なタイプの方だから。
ちょっと話がずれるけど。
大人、親でもいいけど。
すごく図々しいところがあるじゃん。
一緒にいて、恥ずかしさを覚えることって、昔からあった。
店とかで、何か目的のものを探していて、見つからない時。もういいって言ってるのに、親が無理やり店員に聞いている場面。
子どもは、そんなお母さんの手とか服を掴んで、さっさと行こうよ、もういいって!って言ってるのに。
お母さんは聞かないんだよ。
子どもとしては、恥ずかしい。
そんな風にガツガツしてる親を見て。だから、もういいって言ってるのに。
わざわざお店の人に聞く、これがとても恥ずかしい自覚があったから、言ってるのに。
欲しい、も。
これじゃなきゃ嫌、も。
お母さんにだけ伝えられたらいいんだよ。
親にだけ分かってもらえればいいのに、親はそれを大人の行動力と責任で、どうにかして見つけてやろう、実現させようって、頑張る。
店の人や周りを巻き込んで。
それを、見ていて恥ずかしいと思った。
どうしてだろう。この文章を書いていて、なぜかそんな光景が頭に浮かんだ。
こういうシーンって、別に自分だけの体験ではないはず。アニメでだって見たことあるから。
よく分からないけど、幼い頃の羞恥の思い出。
自分にはできないことを叶えてくれる頼もしい親だけど、どこか恥ずかしさを見ていて感じた記憶だ。