どっかの誰かさんのSNSで、
「今月中に行きたいお寺があるけど、行く時間がないっ」
という文面を見まして。
行きたいお寺?
今月限定?
お寺に興味が湧かない自分にとって、行きたいお寺があるということ、今月中じゃなきゃ駄目な理由が分からなかった。
そりゃ、旅行の目的地というかスポットの一つに神社仏閣が必ず出てくるのは分かるし、近くに行ったら有名処くらいは見ておこうかな、くらいのことは思うけど。
そのお寺に行きたい。
しかも、今月しか駄目なの?
いまひとつ、謎に包まれた文章でした。
何か限定で催し的なものでも、あるんですかね?
ああいう厳かな空間が嫌いなわけではないけど・・・
それでも、よほどのことがない限り遠出してまで「神社やお寺に行こう」とは、まだまだ思えない境地の30代です。
お金をかける目的が、年を重ねるごとに「身を包むもの」から「身を作るもの」へと変わっていくように。
遠出の目的も、「日常にない刺激」を求めるものから、「日常にない静けさ」を求めるものへと変わっていくのでしょうか。
いえ、お若い方でも神社やら何やらが好きな人は一定数いるので、年齢というよりは魂レベル的な何かでしょうかね。
興味の対象の違い?
いや、でも買い物とかご飯よりも、そっちの方が優先されるんでしょ?
うーむ・・・その境地とは一体。
いずれにせよ私みたく、まだまだ物質社会に留まっていたい層レベルの者は、神社やらお寺のありがたさというか、楽しみ方が分からないのです。
行くのはいいけど、行って何していいか分からない。
お参りして、その後どうするの?って感じ。
すぐに終了してしまう。
いえ、もっとこのあたりの歴史やら何やらを知った上で踏み入ったら、感じるものも変わってくるのでしょうが。
ああいう所に書いてある読み物って、全然読む気が起きないのです。
歴史も、戦時中以外の歴史に興味はないし。
(確かに、私もそれ関係の博物館とかなら普通に行くので、そんな感覚なんでしょうね)
ちなみに私が観光にあたり好きなのは、洞窟や山などの自然に触れることです。
それはずばり、心が躍るからなのですが(それをつまり、楽しいという)。
お寺好きな方たちも、お寺に行けば心が躍る、あるいは静まることを楽しいと感じているのかな?
先のSNSの方は、一体何を目的にお寺に行きたいと思ったんでしょう?
お寺好きと言っても、お寺の建築が好きなのか雰囲気が好きなのか。それとも、住職?
お寺と言えば、座禅。
座禅を趣味としているのでしょうか。
友人の妹さん(20代)もお寺とか好きみたいですが、目的は「御朱印」だそうです。
(ちなみに京都在住で、伝統工芸品の職人さんです)
うむ。
でもどこへ行くにしても、遠出とは日常から離れたものを求めに行くことに変わりはないですね。
私はかつては、わざわざ日常に離れに行くのにお金も時間もかけることを馬鹿馬鹿しいとすら思っていたけれど。
人生はそうやって楽しむものだよってことを、この年になってようやく分かってきたので、これからも無駄なお金を放出し続けようと思います。