結婚から考えた、「男らしさ」が求められる理由

なんかちょっと思ったことを、書いてみる。

最近、何かと話題のジェンダー
女らしさとは、男らしさとは。苦しいよねーお互い。

それについて、閃いたことでもひとつ。

 

その男女におけるらしさ、求めるものってさ。
もちろんいろんな理由だったり、生物学的な事情もあったりするけど。
その一つに、「家」というものがあると思われる。

例えば、「結婚」という制度で、家というものを形成していく。お嫁に行く、お婿に入る、みたいに。
結婚というものが、これまでの家を抜けて別の家に入るという意味であるからこそ。
男はどーだ、女はどーだってのが、生まれるよねって話。

世の中自由だけど、それでも女が男の苗字になるっていうのが、割と一般的だと思う。それはつまり、ただ名前が一緒になるってだけでなくて、その家、一族に自分も入りましたよってこと。

からしてみれば、今までの家を抜けるわけだから、これまでに無いつながりへと入っていくわけだから、男に対して、やっぱり頼りたいと思うのは当然なのね。

所謂「娘さんを下さい」って、そういうことね。

貴方の家に属する娘・女を、自分の家へと引き入れる。
そりゃ、ケジメというか仁義というか、そういうしっかりしたものが重要よ。

世界でも有名な漫画・ワンピースで例えると、ロジャー海賊団の船長ロジャーが、白ひげ海賊団にいた乗組員おでんを自分のとこの船に一時的にお借りするために、船長が向こうの船長に頭を下げたみたいに。
貸し借りですらそれなら、「下さい」ってのは、そうとう重いはず。
日本って、そういうとこあるし。

 

だからやっぱり、持っていくのはいいけど、持っていくからにはそれなりの人間性とか財力とか、何かしらを相手に求めるのは感情として仕方がない。

今までの苗字を捨てて、新しい苗字になるってのはそういうことだ。

娘が出ていくのは悲しいけれど、でも娘の幸せを考えるなら仕方がない。
だからせめて一緒になるパートナーくらいには、しっかりしていてほしい。
それが、世のお父さんお母さんの意見だわ。納得。家を出たら、その一族の墓にも入れなくなるしね。

もし、そういうのがなければ。
結婚しても、家という所属を捨てずに済むのなら、また違った感じになるだろう。

家を背負うから、他所の女を入れるから、男に求められるものはおのずと決まってくるのだろう。

 

つまりね、男らしいがどうの、女らしいがどうのっていう問題をどうにかする根本的な解決策には、結婚という制度を変えることなんじゃないの?ってふと思った。

女だから他所の家に入る、男だから家に他所の女を入れるっていうのが、自由にできるようになれば(今でも本来は自由だけど)、女らしいだの男らしいだのは、そこまで求められなくなるかもねー。

やっぱり、入れる側はしっかりしててほしいわ。覚悟を持って。
だって身ひとつでそっちの見知らぬ家に入るんだから。
その立場になれば、不安なのは男だろうが女だろうが一緒。

でも世の中、女が入ることが多いから、おのずと「しっかりしている(精神的にも、生活的にも)、頼りになる」みたいなものとして男らしさが求められてしまうって感じ。

生物学的な理由もあるけど、文化的な理由もまた、あるんですねー。

結婚する本人同士はそこまで考えてなくても、その親世代は色々しがらみがありますから。だからこそ、結婚とは両家のイベントなのです。

夫婦別姓になれば、なんか変わるかもしれませんね。
(それとも別姓って、あくまで形式的なもの?どっちかの家に入るって意味は変わらない?)

なんて、私はお嫁にいったことも、ましてや娘を出す両親側になったこともないのに、気持ちだけは想像できたっていう大変ばかばかしい話。