友達の婚活から考える、今の日本社会

1年ぶりに会って来た友人。私を怒らせた友人だけど。

彼女は、ただいま将来のパートナーを探し中である。

しかし、そこまで具体的に行っていないところで止まっている。

もちろん、それまでも今風な個人的お見合いのようなものをやって来たけど、どうにもピンとこず。

新しい仲介所に登録するのに必要な写真を撮る段階で、足が進まないらしい。

 

いやはや、分かる。が。

いや、そもそも彼女は、結婚活動をやることに積極的になれないのだという。

でも、じゃあなぜ?と問うと「せざるを得ないから」、という何ともよく分からない答えが返って来た。あと、将来後悔しそうだから、とも。

そりゃ、自分の中で絶対に幸せになる!という意思の下、行動するならともかく、
非常にマイナスネガティブな状態で、はたしてどこまで行けるのか。

 

 職業:公務員
 学歴:国立大学を卒業
 性格:しっかり者、落ち着いている

 

これだけの、優秀な可能性を秘めた友人だけど、確かに恋愛という言葉だけが、どうも似合わない。

堅実な、良妻賢母なイメージは簡単にできるも、恋愛みたいなフワフワしたものが、まるで似合わない。

だからまあ、相談所的なところに登録するというのは、ある意味彼女には合っている。

 

しかしながら、どうして、今の世の中は、全てを自分一人で行わないといけないのか。

本当に個人主義な時代が到来したものだと思う。

昔のような、縁だとか、知り合いの伝手というものは、ほぼほぼ消滅してしまった。

仕事もパートナーも、全て自分で自分の責任で、探してゆく。

まあ、女でも仕事が探せる時代になったということは、前進だと思うが。

 

一見すると、本当に自立できた人間にしか相応しくない社会が、今の世の中である。

あのね、ここしばらくの、障害をもった人や、何かしらの症状だとか、精神疾患だとか。

そういうものを持っている人に対しての事件だとか、差別だとか。色々あるけど。

別に、そういう気持ちを持ってもいいと私は思っている。

日本という国、一応教育として、差別はいけないことだと学んできているから、公の場では、そんなことはあってはならない。

しかしだ、心の底で何を思い、何を抱いているかなんて、分からないでしょ。

いくら日本が熟しきった社会(先進国)といえど、そういう人たちや、自分より弱い者に対するいじめの感情が100%無いなんてことは、ありえない。

 

今の世の中を見てみて。

強者が弱者を虐げる構図が、当たり前のようにできているでしょ。

そんな中にあって、やれ障害者を守ろうだとか、弱者を保護、失敗者を暖かく見守ろうなんて、できると思います?

もし、皆が、心の底からそういった人も平等、皆が生きやすい社会を形成することが大事だと思っているのならば、日本はもっと生きやすい国になってるはずなんだよ。

皆が他人に無関心、というよりは、自分含めた大事な人とだけ関わって生きていたい、
そのために、それ以外の人から持ち込まれるトラブルはちょっと勘弁な時代。

この国あっての、この人々。

 

・・・なんか、いろんなことが虚しく響く。

こんな時代、まるで知らない他人を心から信じられますかって話。

私は正直、他人となんて、暮らしたくない。。

深く付き合う他人という生き物が、正直怖い。

 

でも、何か、道はあると思う。

だって、そんな自立ができた人間が、そんなに多いとは思えないから。

なんだかんだ、適当に流されて、時に抵抗して、不器用にしがみついて生きているのが、実情。

何かを嘆いたところで、結局進みはしないのね。。

 

それにしても、昔(多分、親世代)は、お見合い事なんかは家族が率先して情報を集め、駆け回ってたイメージがあるけど、今では、個別に行うのが当然みたいな空気。

親がでしゃばるなんて、ちょっとしたお笑い草だけど。

こういうところを見ると、日本も変わりつつあるなぁと、やはり思ってしまう。

 

それどころか、活動していることを親に知られたくない人が多数。

なんで?

なんで、こうなったのだろう。

 

いいえ、日本人は昔から変わらないか。

昔は、嫌だけど家族が推し進めてきた見合いに対して、仕方なく、な態度を取ってきて、決して積極的ではなかった部分もあると思う。

あるいは、家を出てしまったら、養ってもらわないと生きていかれない時代もあっただろうから、親も本人も必死だった時代もあったかもしれない。

しかし、やはりそこは元来シャイな日本人、積極的にはなれなくて、積極的と思われたくないからこそ、隠したい、でも孫の顔は見せたいという、謎な親を思う孝行な気持ちが存在しているのでは?

 

親を喜ばせたい。

いつだって子どもは、親の幸せを考える生き物である。