時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

仕組まれたプログラム⑤~祖母・母・娘へと繋がる

さて、そんな母であるが、あの人も、あの人なりに、色々思うところはあるだろう。

 

よくよく考えてみれば、あの人だって、何かに縛られている。

子どもの進学先の下宿を探す際、まあ母が付いてくるのは当然として、そこに普通、母の母も付いてきますかね?

いくら土地勘があるからといって、そこに祖母が付いてくるケースって滅多にないのではないだろうか。普通は母と父の組み合わせでしょう。

成人の日の着物だって、祖母が用意するものなのだろうか。

仕事や、パートナー、そういうものって、祖母が見繕ってくるものだったかしら。

 

私がね、自分一人では何もできないような、消極的な子どもだったせいもある。そしてそのまま年だけ重ねたせいもある。

でも、ここいらでしゃしゃり出てくるのが、祖母ってどういうことだろう。

それまでは、祖母は頼りになるなぁと思っていたくらいで、あまり気にも留めてなかったことだけど、気にしてしまうと、やはりおかしい。

 

でもね、なんだかんだ、私らの家系は真面目で絵に描いた優等生。

母だって、3人姉妹の長女だけあって、とても忠実というか。祖母にとって母はよくできた娘だったと思う。

きっとね、大人になって嫁に出てしまってからも、その結びつきは他の姉妹よりも強かったのではないかと思う。祖母が甘いのは末の妹さんにだけど、あの人は大阪の方に嫁いだくらいだから、性格的にも結構キツイところがあるもので。

その点、祖母の地元で素直にお見合いして、公務員と結婚してくれた長女の母は、言ってみれば祖母の言いなり。扱いやすかった娘だったのだろう。

(娘のことが分からなくなって介護が必要になった今でも、一番優しい人だという認識があるらしい。母は家でも祖母と電話で会話しているが、母の会話相手を知らない人が聞いたら、まるで幼稚園児と会話をしていると思うだろう。)

そして終いには、私の人生のあらゆるところに、母を通して祖母が干渉してきた。

それを母はどう思っていたのかは分からないが、「祖母の言うとおりにしていれば、幸せになれる」という価値観を持っているはずで、それは母から娘である私にまで受け継がれていった。

だから、こういうことでもなければ、私も母のようになっていたかもしれない。

というか、多分そうなっていた。

何もなければ、祖母の言うとおりに、どこか知らない人とお見合いして、結婚していたかもしれない。

母は、決して私に積極的に介入してはこず、母が何か動く時、大抵は裏に祖母がいる。

母はその橋渡し役、といったところか。母を通して、母2号になるところだった。祖母の最高傑作の。

 

そして、その通りになっていれば、それはそれで幸せだったかもしれない。

夢から醒めなければ。気付かない方が、幸いなこともあるよ。

でも、いろいろなことがあって、そんな夢のような展開から醒めて、もう永遠に手に入れられなくなって。

今まで、何も思わなかった親に対する不満というか、小さな苛立ちが芽生えてきた。

目に見えて分かりやすい反抗期が来なかった私が、そこではじめて反抗期を迎えた気分だ。

こんな風になってしまった娘に対し、母は大いに戸惑ったことだろう。

でも、多くの親は子が10代の内に経験していることなのだ。

その苦労をしてこなかった分のツケを、今払っているのよ、母よ。

 

ね、上手くいかないもんでしょ、人生って。

そういうことに気付かなければ、今頃、孫に囲まれていたかもねぇ。

むしろ、言うことを聞かない奔放な末の妹さんの方が、40代にして2人の孫を持つおばあさんになっているというのに。

本当、上手くいかないものよ。

 

これまで順当に生きてきた娘が、就職せず、どうにか始めた仕事も突然辞めて、今もまた仕事を辞めようとしている。

真面目だったのに、いい子だったのに。そんな叫びが聞こえてきそうだ。

(手のかからない子は、大人になってから大変に手がかかって何倍にもなって帰ってくると噂で聞いた)

だからね、私は私の、親が抱いてきたそういうイメージをぶっ壊したい。

そんなつもりはなかったけど、結果的にそうなって、今は積極的にそう思っている。

自らの人生を犠牲にしてね。

幸せになりたいと思うのに、なりたくないと思うのは、そういうことなんだろう。

 

これじゃあ、いつまでたっても幸せを選べないわな。

だからこそ、自ら幸せを掴みにいった友人を、本当に心から尊敬するよ。