時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

子どもの頃、親にしてほしかったこと

今現在、人生の再スタート時期に立っていると思う。
人にアドバイスをもらいつつ考えている時期なのだけれど、やはり生き方を考える上で、親の存在って大きいね。

やはり、いい意味でも悪い意味でも、親の考え方や姿勢というのは、子供にも受け継がれていると思う。
それら、親の概念をぶち壊して、自分なりの価値観を作っていく時期というのが反抗期。
親にとっては、これまで大切に育ててきた子どもが反抗・暴力的になることは裏切られた気持ちになるから、できれば来ないでほしいと思う反抗期だが、子どもにとっては、親の価値観から脱却し自分の価値観を構築する時期なため、実は反抗期って必要なんです。

これがなければ、子どもはどこかで親の意に沿う生き方をして、自分らしく生きることが妨げられたり、いつまでも親の愛情を無意識に求めたり、子供っぽい大人に成長してしまったりと、まあ碌なことがないのは自分の生き方で実証済みだ。

だからこそ、大人になった今、親に対して目をつぶって来たことって何だろうって、色々書き出してみたけれど。

では世間的に、子どもの頃、親にしてほしかったこと・不満って何だろう。Googleで検索してみた。

・「褒めてほしかった」
これはなんというか、きついね。
私もまともな親の元で育ってきたつもりだけど、目に見えて褒められたことっていえば何だっただろう。工作かな。
子どもの頃は、工作したものを親に見せて褒められるのが一番好きだった。
今でも私、物を作るのが趣味だけど、きっとこういった記憶が今も生き続けているというか。原動力になっているんだろうなとは思う。褒められれば子どもは伸びるって、本当かもしれないね。
それ以外、褒められた記憶は覚えていません。

・「守ってほしかった」
トラブルがあった時や、暴力などから、みたいですね。
子どもは、親を幸せにするために生まれてくるのになぁ。どうして、そうなっちゃうんだろうね。

・「生きていてほしかった」
だから辛いからやめて。。

・「傷つく言葉を言わないでほしかった」
未だに言われたことって、覚えてるよ。
どんだけ時間が経っても、一度受けた傷は一生ものです。
親じゃないけど、親戚の人(まあ、叔母の元旦那だけど)から言われたセクハラ的発言は、一生許さない。たとえ別れて他人になった人だとしても、もし次遭ったらぶっ殺す。私に傷と恥をかかせやがって。死んで詫びろ。

・「歯の矯正」
これはまさかのランクインだが、分かる。
お金もかかるし痛みもあるからこそ、子どもの内に済ませてくれていたら、というね。
見た目にも、歯の寿命、健康にも関わってきますから。
とはいえ、うちの親は歯列矯正に積極的でないから無理だったと思う。
矯正器具付けている子が笑っているのを見て、「みっともない」と言ってた人だから。
未だに踏み出せない原因がコレです。もはや呪い。

しかも最近知ったことだけど、10歳までの内の矯正ってのは、大人のような器具を付けた痛い矯正とは違うらしく、歯の位置を整えてあげる、いわば交通整理みたいなものらしい。これは小学校低学年の内じゃないとダメらしいので、確かに親から提案されていれば・・・という意見も十分に分かる。

あとは、習い事をさせてほしかったとか、兄妹で差をつけないでほしかったとか。

まあね。親がどんなに頑張ったとしても、子どもの不満は絶対にあるよ。他人だからね。

親の良かれが、子どもにとっても必ずしも良いことではないでしょう。だからこそ、見ていてほしいよね。そして希望を聞いてほしい。

私の親は、私が積極的に話しかけるのが苦手なシャイな子どもだったから、よく「自分から行きなさい」と嫌がる背中を押していた。弟も大人しい子どもだったから、「みんなと仲良く元気に」な子どもらしい子どもであってほしかったのだと思う。

私は女だから、きっと一緒に買い物に行って、お洒落を楽しみたかったことでしょう。
でも、買い物が嫌いで、いつも親の後ろをつまらなさそうに歩く私を、イライラとした気持ちで見ていたのでしょう。
「楽しそうにしなさい」なんて、よく言われていたよ。

「もっと遊びに連れて行ってほしかった」という不満があれば、「もっと家で過ごさせてほしかった」なんて言う子もいるんだから、子育て、もとい他人と関わるのって本当に難しい。