時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

傷つけられた自分を思う時

しばらくぶりに友達に会ってきた。

楽しかったのよ、美味しかったし。パフェ。

楽しかったはずの午後。

でも、今、ここにいる私、何か引っかかっているのはなんだろう。

 

何かが刺さったまま、ここにいる私。

彼女に対して、腹立たしさを覚えたのだ。

それは、私の提案に、向こうが強い拒絶を示してきたからだ。

その場では、深くは追及はしなかった。

でも、それがずっと残っている。

 

――そこまで言う必要あった?とか。

――もっと言い方あるよね、とか。

 

こっちは、久々だったし、楽しみたいからこそ結構気を遣ってたのに、後味が悪いのは納得がいかない。

許せない、とも思う。

もうしばらく会うことはないだろう。

どうせ、これまでも1年に多くて2回しか会わないのだ。それぞれの感覚が違っていっても、おかしくはない。無理に合わせる必要はない。

 

この気持ちをノートに書き起こしても、疲れるのは腕だけ。

書いても書いても、気が晴れないのを私は良く知っている。

だから、最終的には暴れ倒して、身体からエネルギーを放出するのだけれど、この暑さ、これ以上消耗もしたくない。

 

だから今日は、目を閉じてみた。

イライラとしたものが、お腹のあたりでグツグツと沸騰している。

それをしばらく目を閉じたままにしておくと、次第にそれらは上へと昇って行った。

そして、目のあたりまで来たところで、涙として滲んだ。

悲しいのだ。

悲しかった。

自分に、悲しみを寄越した彼女が、憎らしかった。

せっかくの機会なのに、不愉快な思いをさせた彼女が、憎くてたまらない。

 

でも、言えない。

言いたくない。

だから、なかったことにして、また話を合わせるも、やはり悲しかった思いは、ずっと刺さったまま。それらを後になって思い出す時、悲しみの原因である傷に触れるのは、痛い。見たくない現実が、そこにはある。

注射時、自分に刺さる針を見られないようなものだ。

だからいつも、怒りをとっかかりに、触れるようにしている。これはもう、無意識にやっている作業だ。

最初は、それすらできなかったけど。

 

だからこそ、初めは怒りが先に立つけれど、本当は悲しいことを知っている。

たったそれだけのことで傷ついて凹んでいる自分に気が付く。

そんな自分に、少なからずショックを受けます。

 

大人だと思いたい自分が、あまりにも弱くて脆い自分の一面を知って、ショックを感じる。

そんな自分、見てられない。。。

 

文字にしてみよう。

 

――本当に傷ついた。

――バッサリ拒否されるのって、初めてかもしれない。

――こんなにもあっさり、でも確実に的確に「絶対に嫌」と言われたら、もうどうしていいか分からないよ。

――こんな言われ方、したことないよ。

――あー凹む。傷ついた。

――そんなこと言われて、ワタシ、かわいそう。

 

それだけ。

これ以上、書きたいことがなかった。

もう、これで全部。あっけない。こんなもんか。

 

ていうかさー

割と頻繁に泣いてる私なんだから、今更って感じじゃん?

今更傷ついて泣いても、もう何も思わないよ。