時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

決まりきった夏服

夏は、正直洋服を買う気にならない。

というより、春だってそうよ。

春になってから、5,000円分しか洋服を買えていない。

まあ、その分、今年は帽子や眼鏡など、小物をそろえられているからちょうどよい。

顔回りを少しでも華やかにしたい、そんな願望が芽生えてきたのかもしれない。今までは、頑張ってネックレスだったな。

 

冬と夏は、だいたい洋服のパターンが決まっている。

それでも、冬は少しでも暖かいやつをと目指していくと、色々必要なものも増えるけど、夏に至っては、いかに減らすかが重要。余計なものより涼しさ重視。布切れ1枚でいい。

夏で思い出すのは、大学生の頃。本当に夏服に困っていた。

半袖Tシャツにショートパンツ、サンダル。

これだけの着こなしが、なんか寂しくて、お洒落をしている感じがなかった。

しかもTシャツはピンクだ。ポップなやつ。

そんな小学生みたいな恰好で、よく大学に行けてたもんだ。

今の大学生が見たら、きっと二度見するわ。

しかし、雑誌を見てもそんな感じ。モデルはスタイルと顔で夏服を着ていたようなもんだ。

 

それが、一番夏が楽で素敵に思えるようになったのは、10年という年月の経過と、自分の中の「こうあるべき」が薄らいだ賜物だ。開き直りと言ってもいい。

20の頃は、身長がない人は、長めの丈のものはNGだと思っていたし、コンプレックスでもあったから、常にヒールのある靴ばかりを履いていた。

当時、ベストが大流行したのもあって、お洒落は常に重ねまくる、という追加した者が勝利なイメージがあった。

私服を初めて着た田舎から出てきた18歳の自分は、どんどん着こんで盛り込んでいくスタイルで春を過ごした結果、夏のシンプルさに少々戸惑っていた。

シンプルが、あまりにも工夫のない、心もとない感じに思えたから。

シンプルこそ、素材(着る本人)の質が大事なのだ。

 

私服はいわば、武装である。

それこそ、舐められないように、少しでもお洒落なところを見せつけて、ダサい大学生の一員と見なされたくなくて、毎晩遅くまで頭をひねってた。見栄だけは一人前に張りたがった。コンプレックスの裏返しだ。

自信のなさ、スタイルの悪さを、着こむことで盛り立てて誤魔化そうとしてた。

実際、背の高い人がシンプルすぎるロングなワンピースや、ノースリーブにロングスカートといった色を抑えたリゾート風なファッションをしているのを見て、すごく嫉妬してた。

私は背が低いだけでなく、肩回りも豊かで横幅もあったから、何を着ても小太り感が否めなかった。

 

そ・れ・が。

今や夏の私服は全てノースリーブになっている事実。

3着ほどのノースリーブに丈をカットして丁度よくしたロングスカート、ノースリーブなワンピース3着ほどが、夏の基本。

人は変わるものねぇ。

それが今の自分に合ってるし、楽だから、あまり他を望んでない。

その分のお金で、もう1個グラサンが欲しいな。

つい最近、白のキャップを買ってしまったし、何なら帽子は今年3つ目です。

 

やや!これはもしや、小物を使ったお洒落というものをやっているということか。

あまりにも自然に、人は変わっていくものみたいです。