時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

できれば人の気持ちに応えたいと思う

一人で何かをする。

例えば、ご飯に行くだとか、旅行に行くだとか。

そういうのが苦手な人がいる。

ついでに言うなら、そういう一人行動に偏見を持っている人もいるが、そういう人は別にそれでいい。大事なのは、やりたいけどできない人。

その人の意思を尊重することだ。

 

一人行動は恥ずかしい。


恥ずかしい、人目がどうしても気になってしまうのは、とある経験者によると、第三者の目に視点を当てすぎているのだという。

周りで見ている、何のつながりもない一般人を。それを世間というのだけれど。

そこにフォーカスしているからこそ、「一人で寂しい奴だと思われるかも」「失敗を見られるのが恥ずかしい」そんな風に思えてしまう。

 

どんなに無視しても、振り払えない妄想。

それなら、お店に行くとして、店員の方に視点を当ててみる。

店側にとっては、どんな客もありがたい存在だ、だから、世間なんかに見られていることを意識するのでなく、店員にフォーカスしてみるのもよい。

一応、客である以上、無下に扱われることはないのだから。

そうすれば、世間の目を気にせず、行きたいところに行け、食べたいお店に一人で入れる。そんな風にアドバイスをされていた。

 

ああ、そのどれもが、自分以外の人の視点にフォーカスしているなと思った。

自分がこうしたいから、何が何でもこうする。そんな自分が中心にいられない人々。

思考のどこかに、常に他人がちらつく。

 

本当は○○がやりたい、そんな欲望に対して、常に第三者の存在を意識してしまう。

自分がかっこ悪くないか、アンテナを張り巡らし、常にその第三者の目から自分を観察しているのだ。

でも、そのアドバイスをされた方は、自分のそういう性質をよく分かっていらっしゃる。

だからこそ「誰もお前のことなんて見てないよ」なんてアドバイスはしない。

見てないことは分かっている。分かっていても、振り払えない何かがあるのはどうしようもない。

なぜなら、監視の目を光らせているのは、他ならぬ自分なのだから。

これは自分の問題なのだ。

 

こればかりは、仕方がないのかもしれない。

自分以外の人間にフォーカスすることが慣れた(長けた)人間ならば、その時その時に応じて、都合よく、そのフォーカスする相手を変える。

これも、ひとつの手かもしれない。結局は、他人の視点を借りるのだけれど。

それでも、自分のこうありたいという欲望が満たしやすくなるのなら。

 

ただ、それでもやはり、これも悪い点がある。

例えばこれがモノを売っているお店で、店員側にフォーカスしてしまうと、今度は逆に、店員さんの気持ちに応えたくなって、欲しくない者でも買ってしまったりね。

冷やかすのを、悪いなと思ってしまったり。

 

本当は、自分に集中したいのだけどね。

なんか負けてしまうことばかりで。

この性質を、なんと説明すればよいのやら。。

 

だから、一人でどこかに行けない人のことが、よく分かる。

ただ、私の場合は、初めての場所は無理でも、誰かと一度行けば平気になる。

最初のハードルというものが高すぎるように思えるからだ。

それこそ、少しでも勝手を知れれば、途端にそのハードルは下がって見えるから、まずは誰かと行ってみることが慣れの一歩だと思っている。