じいさんとの記憶。
7月はね、誕生月なんですよ。
正直、最近は梅雨が7月にまでなだれ込むせいで、すっかり梅雨=7月なイメージになりつつあって残念だけれど。(七夕はよく雨が降ってるし)
そんな7月、地味な7月に。突如。
祖父母のことを思い出してみようと思った。
来月はお盆だし。プレお盆ってことで。
父方の祖父母は、割と近所に住んでいて。
日曜日は、よく祖父母の家に行って夕飯を食べていた。
時刻はだいたい18時ほど。
食事中、いつもちびまる子が流れていたから。
そして、毎週だったかは分からないが、祖父は我々孫にお小遣いをくれた。
500円。私は100円玉で、弟は500円玉で。
そして、本屋にもよく一緒に入った。
私ら孫だけじゃなく、両親もついでに買ってもらっていた。
そして、習い事のお迎え。
小学生の頃はピアノ教室に行っていて、だいたい帰りは19時頃になる。行きは一人でも自転車で行けたけど、帰りはじいさんが自転車で迎えに来てくれた。
暗くなった帰りは、いつも懐中電灯を持ってやってきた。
片手で懐中電灯を逆さに持って、後ろ(私の方)を照らしてくれるの。
そんなことしなくても、私の自転車にだってライトくらい付いてるのに、わざわざ。
その当時は、気にも留めなかったけど。
おかげで、じいさんの姿がよく見えた。
道中、スーパーがあったから、いつもそこで私と弟の分のお菓子を買ってくれた。
大人の今でも躊躇するような、まあまあ高いお菓子もカゴに入れてたと思う。
お菓子を買って、そのまま家へと届けられて、そこからじいさんは家へと帰っていく。
いいじいさんでしょ。
私、母親と買い物に行った記憶より、多分じいさんと買い物に行った記憶の方が鮮明だし、その回数も多かったと思う。
べたべたと甘やかすような祖父ではなかったけど、なんだろね。
なんか優しかった。
祖父との思い出は多いけど、その分、祖母との思い出があまりないことに気付いたのは最近。
じいさんみたく、コンスタントに一緒にいた記憶がないのもあるし、家に行っても、大抵は台所でご飯作ってたし。
その点、じいさんはいつもテレビのある部屋にいて、冬はこたつで相撲中継を見ながら迎えてくれた。
私ら姉弟は、着くと真っ先にこたつに入っていたからなぁ。
不思議なもんだ。
両親だと、母親といる時間の方がはるかに長いのに、祖父母だと、祖父の方が長く時間を過ごしていたのだから。
ばあさんも優しい人だったと思うけど、ひとつひとつの思い出が、なんとなく不鮮明で。
どんな人だったのかも、あまりよく知らない。
乳がん経験者だったり、若い頃、実は車の免許を取得していたなど、アクティブな人生を若い頃は送っていたらしいことは、祖母の葬儀の際に父から聞いた。
苦い記憶として残っているのは、幼稚園の時にホワイトデーとして友達にもらったはずのペンケースを、ばあさんが使っていたこと。
それを見たのは、もっと大きくなってからだと思う。
実際に、それが正しいのかは分からないけど、子どもなりに「もしかして・・・」と思ってしまった心。たとえそれが事実じゃなかったとしても、当時湧いていた思いは間違いない。
でも、何も言えなかった。
あと、泊まりに行きたかったのに、断られてガッカリして帰ったけど、傷ついた心を家で待っていた母親に知られたくなくて、誤魔化した記憶もある。
ばあさんとの記憶なんて、こんなもんだ。なんでこんなに複雑なんだろう。一緒にご飯に行った記憶もあるけど、でも、それくらいしか思い入れがない。おかしい。
その後、ばあさんは認知症になり間もなく施設に入り、じいさんは、私が県外に住んでいた頃に亡くなった。
じいさんは、家で死ねた人なのだ。
もちろん身体は弱ってたし、ご飯の用意とかは私の親がやっていたけど、それでも死ぬまで家にいられた人。
なかなか珍しいと思う。私の自慢でもあるのだ。
私が一人で新幹線に乗った初の経験は、この時の葬儀だった。