前回の続き。
ま、無職時代なんて、ろくなもんじゃなかった。
私は、開き直るのに時間がかかってしまった。
いつまでも罪悪感と後ろめたさを抱えたままの時間を、ズルズルと過ごしてしまった。
ここでもう少し早くに割り切って、無職という自由時間を心ゆくまで楽しめればよかった。
罪悪感など考えず、全力で楽しめれば良い思い出になる。後悔もない。
私は大抵、何でも小分けにして楽しむ癖がある。
今日やっていることが、明日もできるといい。
それは、食べ物でも仕事でも、遊びでも。
別にそれを悪いことだとは思わないけれど、それをすると、どうしても1つ1つの印象が薄れてしまう。
本も、何日にも分けて読むより、一度に一気に読んでしまった方が内容に没頭することができ、より楽しめるというものだ。
だからこそ、あの頃の毎日を、あらゆるタスクを小分けにして楽しむよりも、一度にまとめて全力で取り組んだ方がよかった。
それくらいまとまった時間が取れるのが、無職なのだから。
時間が湯水のようにある期間なんて、もうないだろう。
今にして思えば、そんな時間があれば、いろんなことができたと思う。
勉強だってできただろうし、資格の3つくらいは十分とれたはず。ゲームだって一日中、寝る間を惜しんでできただろう。
パソコンの勉強なんて、とにかく時間を食うし、お金の勉強も範囲が広いから時間がかかる。もっと、稼ぐための手段だとか、スキルを身に着けられる時間は十分にあったはずだ。
でも悲しいことに、当時の私はいくら時間があったとしても、勉強しようなんて考えはなかった。
いくら勉強して資格を取っても、経験のない人間は、会社では雇ってくれないという情報をネット上で目にしたからだ。
せっかくやる気になっていた気持ちも、その情報を見て、一瞬で離散してしまった。
いじけてしまったのだ。
もう、何をやっても経験がないからダメ、チャンスさえもらえない。それなら、経験がない時点で、もうすべて終わっている。すべての道が閉ざされてしまってる。
なら、もうやるだけ無駄。なら、もう生きていても意味がない。
勉強なんてやらず、楽なことだけして、とりあえず形だけ生きていよう。。
そんなネガティブにやられてしまっていたからだ。
たった一人の、しかもネット上の意見を鵜呑みにしてしまったばかりに、前向きな気持ちは失われてしまった。
良くも悪くも、外からの情報に踊らされる方だと思っている。
就職難なら、どうせ自分も就職なんて無理だと思い、経験がないと雇われないなら、どうせ何をしても無駄だと思う。
反骨精神が全くないのだ。
ええい、なにクソ!という追い詰められたら逆に燃えるタイプの要素が、私には一切なかった。
いつだって追い風がほしい。
自分がやることに、肯定的であってほしい。
とにかく否定が堪える性格なのだ。単純とも素直ともいえる。
かといって、じゃあ遊びまくったかというと、そうでもない。
もともと友人は少ない方だし、自分から誘うのも苦手。遊び方も分からない。
何より、みんなが働いている時間に働いていないことに、とてつもなく罪悪感を感じた。
学びもせず、遊びもせず、何もかもが中途半端な時間。いつも罪悪感と意味を考えてしまい、何かに傾倒することができず、成果のなかった時代。
できたことは、外を走って身体を動かすことだけだった。
走っている間は何も考えなくていいし、走った後だけは一日の中で一番気分がよかった。
罪悪感が唯一薄れた時間だった。
だから、自分の中で設定を作ってまで、走り続けたのだ。
継続して何かをやる。走るなんて、みんなが辛くてやりたがらないことを、自分は自発的に継続できている。
そんな思いだけが、自分の持てる唯一の優越感。
それだけを、噛み締めてた。
もう少し つづく。。