時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

無職を語る③

前回の続き。

無職を語る② - 引きこもる思考

ま、無職時代なんて、ろくなもんじゃなかった。

私は、開き直るのに時間がかかってしまった。

いつまでも罪悪感と後ろめたさを抱えたままの時間を、ズルズルと過ごしてしまった。

ここでもう少し早くに割り切って、無職という自由時間を心ゆくまで楽しめればよかった。

罪悪感など考えず、全力で楽しめれば良い思い出になる。後悔もない。

私は大抵、何でも小分けにして楽しむ癖がある。

今日やっていることが、明日もできるといい。

それは、食べ物でも仕事でも、遊びでも。

 

別にそれを悪いことだとは思わないけれど、それをすると、どうしても1つ1つの印象が薄れてしまう。

本も、何日にも分けて読むより、一度に一気に読んでしまった方が内容に没頭することができ、より楽しめるというものだ。

だからこそ、あの頃の毎日を、あらゆるタスクを小分けにして楽しむよりも、一度にまとめて全力で取り組んだ方がよかった。

それくらいまとまった時間が取れるのが、無職なのだから。

時間が湯水のようにある期間なんて、もうないだろう。

 

今にして思えば、そんな時間があれば、いろんなことができたと思う。

勉強だってできただろうし、資格の3つくらいは十分とれたはず。ゲームだって一日中、寝る間を惜しんでできただろう。

パソコンの勉強なんて、とにかく時間を食うし、お金の勉強も範囲が広いから時間がかかる。もっと、稼ぐための手段だとか、スキルを身に着けられる時間は十分にあったはずだ。

でも悲しいことに、当時の私はいくら時間があったとしても、勉強しようなんて考えはなかった。

いくら勉強して資格を取っても、経験のない人間は、会社では雇ってくれないという情報をネット上で目にしたからだ。

せっかくやる気になっていた気持ちも、その情報を見て、一瞬で離散してしまった。
いじけてしまったのだ。

もう、何をやっても経験がないからダメ、チャンスさえもらえない。それなら、経験がない時点で、もうすべて終わっている。すべての道が閉ざされてしまってる。

なら、もうやるだけ無駄。なら、もう生きていても意味がない。

勉強なんてやらず、楽なことだけして、とりあえず形だけ生きていよう。。

そんなネガティブにやられてしまっていたからだ。

 

たった一人の、しかもネット上の意見を鵜呑みにしてしまったばかりに、前向きな気持ちは失われてしまった。

良くも悪くも、外からの情報に踊らされる方だと思っている。

就職難なら、どうせ自分も就職なんて無理だと思い、経験がないと雇われないなら、どうせ何をしても無駄だと思う。

反骨精神が全くないのだ。

ええい、なにクソ!という追い詰められたら逆に燃えるタイプの要素が、私には一切なかった。

いつだって追い風がほしい。

自分がやることに、肯定的であってほしい。

とにかく否定が堪える性格なのだ。単純とも素直ともいえる。

 

かといって、じゃあ遊びまくったかというと、そうでもない。

もともと友人は少ない方だし、自分から誘うのも苦手。遊び方も分からない。

何より、みんなが働いている時間に働いていないことに、とてつもなく罪悪感を感じた。

学びもせず、遊びもせず、何もかもが中途半端な時間。いつも罪悪感と意味を考えてしまい、何かに傾倒することができず、成果のなかった時代。

できたことは、外を走って身体を動かすことだけだった。

走っている間は何も考えなくていいし、走った後だけは一日の中で一番気分がよかった。

罪悪感が唯一薄れた時間だった。

だから、自分の中で設定を作ってまで、走り続けたのだ。

継続して何かをやる。走るなんて、みんなが辛くてやりたがらないことを、自分は自発的に継続できている。

そんな思いだけが、自分の持てる唯一の優越感。

それだけを、噛み締めてた。

 

もう少し つづく。。