時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

介護と仕事の狭間で

退屈な毎日の中で。

親の介護により、主婦の同僚が9月いっぱいで退職することとなった。

こうなると、もうどうしようもない。

義理の母だそうで、もともと肺に持病を抱えていたものの、ここ数年で悪化し、こういうご時世もあって、なかなか入院にも踏み切れず。本人の意向も、もちろんあるが。

県外に娘さんが住んでいるそうだけど、このご時世だもんで、移動も難しい。

今はご実家で面倒を見ているそうだが、向こうには家族もいるそうだし。いつまでもって訳にもいかない。仕事も持っている。

 

職場には、65くらいの、1年ほど前に介護していた母を亡くした人がいるけど、その方も「ずっと介護ばかりじゃ身が持たない。仕事でも何でも、息抜きになれるような場所は必要だ」と、介護退職に対して、あまりいい顔はしない。

事実、他の経験者のインタビューなんかでも、長時間の通勤時間だけが唯一の自由だった、という意見もあった。

しかし、同僚は、義理の母の体調や機嫌に左右されて、いつ行けるとも分からない、そんな状況のまま身をおいて置くのが大変心苦しいし、しれがストレスになっているからと、意向は変えないそうだ。

そんな理由で、退職する方は、多いのだろうな。すごく、気を遣ってしまう方だから。

迷惑をかけること、そんな自分に耐えられないのだろう。

現場としては、別にそうなってもいいんだけどね。

仕事をしてくれなくても、私としては、休憩時間に話に付き合ってくれるだけでありがたい存在だと、思っているのだけど。もちろん、イラつかせてくれることは多いが。

しかしまあ、そんな他人の胸中なんて、本人には分かるわけもなく。

人様に迷惑かけちゃいけません、なんて。

貴方が思っている迷惑と、他人が思っている迷惑は、違うかもしれないのに。

いずれにせよ、今日仕事に行けるか行けないかが、直前まで分からないことに対して、ものすごくストレスと痛みを感じてしまっている同僚には、その決意は固かった。

そんな同僚は、休むことに罪悪感を感じるんだろうな。

いい学校教育の賜物だなと、どこか皮肉って話を聞いていた自分がいた。

 

厳しいな。

私の親、そして叔母もそうだけど、このくらいの年代の方は、本当に介護と仕事に大変苦心されているように見える。

母は専業主婦であるから、まだゆとりはあるものの、同居している叔母は仕事もしている身。

帰宅したら介護が待っていて、寛ぐことも、お風呂につかる余裕すらない。

今後のために資格の勉強もしないといけない(会社に、取るよう言われている)のに、勉強をする気力も時間もない。

もっと、私と遊んでほしいのに、そんな時間も当然、あるわけもなく。

もう、全てが、終わっている。

 

この現状に、解決策なんて、あるんでしょうかね?

仕事を辞めた後の同僚が心配だ。旦那の方は、弱った母親の姿を見たくないからと、ほぼ隣に住んでいるのに、滅多に顔を見に行ってやらないそうだ。

変わってしまった祖母を見たくなくて、全く会いに行かない私と同類みたいだ。

現実を、受け止めたくないんでしょうね。心が弱いですな。

 

家にいる限り、ずっと介護はついて回る。解放されることなんてあるのかな。死ぬまで待つしかない?

私だったら、多分、やる前から音を上げるわ。

それが義理の両親だとするなら、別居もしくは離婚するかもしれない。

結婚すると、いろいろな耐性がつくというけど、そういう風にならざるをえないなら、やっぱり誰かと一緒に生きるのはご免こうむりたいものだ。