時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

罪悪感が侵食中

友人が去年の秋から冬に移行する時期に結婚して、今はパートナーと暮らしている。

 

でも、県外の子なので会いに行けておらず、当然旦那さんにも会ったことがないし、新居にも行けてない。だから、お祝いも何もできていない。

 

でも、せっかくだし、なにかしたくて。

何か欲しいものはない?と聞いたところ、玄関に飾るインテリアのようなものがほしい、とのこと。

家の前や玄関に置かれているような、「Welcome to ○○」みたいな、歓迎のプレートっぽいもの。

ずっと昔の誕生日に、何か作ってあげたことがあって、それを今でも気に入ってくれているみたいだから、またそんな感じで作ってほしい、そんな話だった。

で、現在作成中。

 

こうやって、何かを作り出すのは楽しい。

喜んでくれる人がいれば、なおさら。

昔から、そういうものにお金は惜しまないけど、でもふと思うのだ。

こうやって他人のために自分の時間を使っていることは、無駄なことなのかなって。

 

中学生の時だろうか。

親戚のおばちゃんのために、ビーズでアクセサリーを作っていた時。

それを見た親が言った。

「勉強する時間を犠牲にしてまで、(おばちゃんは)作ってほしいなんて思ってない」って。

 

中学生の頃は、結構勉強はできていた。成績もよかったし、塾にも通ってた。当然、勉強する習慣もあった。

それを親は知ってるはずなのに、そういう、まるで私が楽しんで、誰かのことを思ってやっている作業が、まるで私にとって負担であるかのように言うなんて。

不思議ね、今思い出しても泣けてくる。


当時も、別に無理してなんてやってない。勉強の時間はちゃんととってるし、今までもずっと、勉強しなさいなんてほとんど言われたことがないのに。

なんでそういう時に限って口を出すのだ。

普段、ゲームばかりしてても、何も言わなかった癖に。

 

そんな記憶がずっとあって、もちろんそれだけではないけど、罪悪感が植え付けられる。

私がやってることって、他人から見たら負担に見えるのか。無理してるように見えるのか。

そんなことを思い出しては、いろいろと考えてしまう。

 

確かに、いろいろするべきことはあると思う。そんなこと、探せばいくらでも出てくる。家にこもってばかりいないで、人に出会いに行くべきだ、とか。今後のために勉強でもした方がいいんじゃないか、とか。

私には、まっとうな職も、パートナーもいないのだ!それどころか、彼氏すらいない。

私が持ってるものなんて、私の悶々とした思考と、何かをちょっとだけ生み出せる手先の器用さだけ。


だから、それを生かして友人を喜ばせたくて、私も楽しんでやっている。やっているはずなのに、これをやっていていいのかなって、時々不安になる。

楽しいことをしているはずなのに、鬱々とした気分になる。特に土日。

 

誰とも会わず、どこにも行かず。

本当にこれでいいのか。

いや、世間的にはいいはずなんだよ今年は。別に、要請を律義に守っているつもりなんて毛頭ない。守るつもりもない。

だって、お願いなんてされなくても、私はもともと引きこもりなんだから。

引きこもりにだってプライドはあるのだ。

 

だけど、この孤独な感じと罪悪感を、どのようにすれば。。