時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

罪悪感から覚めた話

先週、とある講座に遠隔参加してみた。

その話の中で、罪悪感がどうのこーのという話が出た。

人間は、マインドという頭の思考が存在しており、それが私らに常に囁くのだ。

「どうせ無駄だよ」「前もダメだったんだから」「どうせ~なんて」などなど。

罪悪感も、そんなマインドが囁きかける、甘い罠の一種。

 

そんな話を聞いた際は、へーなるほど、としか思わなかったけれど、今日、風呂の中で、いろいろふり返って考えていた。

中学の頃から、頼りなかったなーとか。

中学では、友達に誘われてバレー部に入っていたけど、小学生の頃から習っている子との差が激しすぎて。
運動は、そこまで下手ではなかったのに、そこで初めて、実力というか経験含めた差というものを感じてしまった。
特に、チームプレーだからこそ、そのできなさ具合が痛かった。

なかなかうまくできなくて、1個上先輩が、なぜか謝りにきた。

途中、あまりにもうまくいかなさ過ぎて、つい悪口を言ってしまったのだと。

いや、私はそんな言葉を聞いているヒマなんてなかったから、知らなかったけどさ。

でも、すごくしっかりしてて、わざわざ謝りにきてフォローしてくれたりと、私だったら、きっとできなかっただろうなーとか。

他にも、なんか色々。

 

そんな感じで、自分の今と昔の駄目さ具合をぐるぐると頭の中で渦潮状に回していた。

そして、「罪悪感があるんだよね」と頭の中で思い始めた頃、とっさに講座で聞いた言葉が思い出され、「あ、これは罪悪感。」と頭が急にしっかりし出した。

現実的になったとでも言おうか。渦潮な思考が、はたと止まった。

 

なんか、うまく表現できないけど、罪悪感を持ってるってことで、なんかまともな自分を、自分含めた周りにアピールしているような気がするのよね。

「本当はダメだって分かってるんですけど、、、!」

「あの時、ああしてればよかったって、ずっと後悔してて・・・」

そんな気持ちを抱くことで、

「本当はダメだと分かっている=ダメだという認識がある常識人ですよ私は!

「ああしてればよかったのに=正しい方を今では認識していて、あの頃の選択は間違いだったと認識できている常識人です私。

みたいな、なんかいい子ですよアピールしてるように、思えないですか?

思っちゃうんだよなー。

 

今までは、もちろん山の数ほど後悔と罪悪感を抱いてきたんだけどさ。

むしろ罪悪感を抱いていることで、やっぱり自分は常識人ですよっていう認識を、どこかでしてたの。

多分、どこかで。
言葉では表現できないけど、そんな感じでちょっと正当化した自分をどっかで感じてた。
そして、それを感じて、ちょっと安心してたの。

でも、講座でそういうことをズバッと聞いたような気がして、なんか引っかかってたんでしょうね。

今日それがバッと思い出されて、しばらくの間、上に書いたようなことを考え始めていたら、肝心の、自分が何に罪悪感を感じていたのか、それをきれいさっぱり忘れた。

もう、全く思い出せない。

そもそも、バレー部の先輩の話から、なんでそんな話になったんだっけ?

・・・まあ、忘れるくらいだから、別に大したことじゃなかったんでしょう。

ただ、罪悪感感じてますアピールして、なんか常識人ぶりたかったんでしょう、いつものように。
そうやって、いい子なのよ私はアピールを、延々と繰り返してきたんでしょう。

所詮、マインドの言うことなんて、そんなもんよ。

実態がない。
それを誰かは、マインドが作り出したドラマというけれど。
(むしろドラマと言われた方が、よく分からないが)

そうやって、マインドというものは、我々人間を狭い檻に閉じ込めておきたがるんです。なぜそうするのかというと、変わるのを恐れるからだそう。

変わらない生き方(物理的な)をしてきたおかげで、生き延びてきた種族だから。それを、ずっと維持していきたいみたい。

ある意味、覚めない夢に我々は生かされている。

でも覚めれば終わる。夢だったと気付くみたいに。

 

へへん、でも、その目論見は外れましたな。もうその手には、引っかかりませんよ。

今後、もしまた罪悪感を抱いてると思い始めたら、「あ!」と声に出して気付いてやろう。