時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

無職を語る①

「無職本」っていうタイトルの本が出ているというから、私も無職について自由気ままに語ってみようと思う。

 

「無職=コミュニティがない、所属がない」っていうことだけど、まったくその通りだと思う。

私が無職で感じたのは、後ろめたい気持ちだった。

 

私は当時、無職になってからジョギングを趣味として、日課として始めた。

ジョギングを始めた頃は、走っているのを見られるのが恥ずかしくて、日が落ち始めた時間帯を狙って家を出た。

 

次第に慣れてくると、昼間に走るようになった。

しかし、その内心は、ビクビクしたものだった。

昼間から外で走っている自分を何だと思われるのか、それが気がかりだった。

小柄で実年齢より若く見られていた当時は、そんな見た目を利用して、今は大学の長期休業期間だから、とか4年生で授業がないから、だとか。

自分が大学生である設定を内心で作り上げた上で、近所を14時とか15時に走っていた。

もちろん、大学なんてとっくの昔に卒業している。

 

そうでも思っていないと、自分がもたなかったのだ。

別に、昼間に走っていようとも、誰も聞いてこない、話しかけても来ないのは分かっている。それでも、そんなことを予め設定しておくことで、万が一の備えにもなるし、何より自分が安心できた。

 

こういった自分が作り上げたストーリーや設定を用意することは、自分を納得させやすくもなった。

ストーリーさえあれば、こういう理由だから、自分はこれをする、これがしたいという理屈づけになる。

 

逆に言えば、ストーリー無しには行動できない。

例として、整体に行くプロセスを見ていく。

①手が痛いから整体に行きたい

②近々、山に行くから手が痛いままでは困る

③だから、安全のために整体に行く

 

ここでのポイントは、手が痛いから整体に行きたいという結論がまずあること。

でも、整体に行くには理由が必要だ。

手が痛い、これでも十分の理由になるが、行きたいという思いより、いつもと違うことをやるストレスの方が勝ってしまうんだ。手が痛いという、それだけの理由で行動を起こすには、少なくとも臆病な私には抵抗があるのだ。

 

そこで、ストーリーを作り出す。

近々山に登るのに、手の痛みがあっては存分に楽しめない。危険もあるだろう。そういう理由があるから私は治すために整体に行こう、となる。

 

まるでプログラムのようだが、こういった思考がいつの間にか自然に行われているのだ。

要は、何をするにも理由が必要であり、自分を動かす動機の存在は不可欠なのである。

もちろん、そういったストーリーは、自分を動かすためでなく、自分を動かなくさせる理由・言い訳にもなりうる。

仕事を退職した後、さまざまな手続きを会社がしてくれるのだが、その一つが、離職票の作成。

本来、会社で雇用保険に入っていたら、退職した後に申請することで、しばらくの間お金を受け取ることができる制度がある。

もちろん、私も雇用保険料を毎月給料から支払っていたため、当然受け取る権利はあった。必要期間も満たしていた。しかし、結論から言うと、私は受け取らなかった。

申請をしなかったからだ。

申請のためには、ハローワークなど、就職支援の場へ赴かなければならない。

私はそれが嫌で、ずっと先延ばしにしていた。

 

まず、最初の段階として、初めての場所へ行くのが怖かったから。

当時、20代半ばであったものの、初めての場所へ行くことに恐ろしいほど抵抗感があった。

緊張するし、何が何処にどうあるのか分からない。

私は、そんな挙動が不審になる自分を、見たくなかったのだ。

初めて行く場所は勝手が分からない。間違ったこと、おかしい行動をとってしまう自分を許せないというか、そんな惨めな思いを味わいたくなかった。

これは今も、自分の中に存在する感情だ。

それに加えて、無職者が集まるところに行くことが、ちょっと屈辱、プライド的に嫌だった。これも、惨めな思いをしたくなかったせいだ。それこそ、周りからどう思われるか、それを思う自分も見たくなかった。

 

そんな気持ちを持ち続け、それをどうにかしないまま時間ばかりを過ぎ去らせてしまった結果、3ヵ月くらいがあっという間に経過していて。

こうなると、最初の「初めての場所に行くことへの抵抗感」というものに加えて、「なぜ3ヵ月もの間、放置していたのか」という誰かから責められるような恐怖にも、恐れを持つようになってしまった。

きっと、3ヵ月放置していたからといって誰も怒りはしない。

そうは十分分かっていたけれど、でも、誰かからそのように責められるかもしれないと1度思ってしまえば、いつしか自分の中で、「3ヵ月も放置していた理由」を作り出すようになる。

体調が悪かった、気持ち的に落ち込んでいた、他にすることがあった、、、いくらでも言い訳なんて思いつく。

 

これだって、立派なストーリー作りだ。ただし、こっちは言い訳色が強い。

とにかく、他人に見えない部分に、こういったストーリーや設定を作っては、自分の行動に正当性を持たせたり、言い訳にしてみたりしている。

決して、他人には見えないのに。

見えないのに、この無駄な苦労は何なんだろう。

 

自分の行動に理由を持たせることは、何なのか。

ー理由がないと、動けないからだ。

なぜ、理由がないと動けないのか?

ー自分の意志で動くことが、苦手だから。
(私の中で、理由というのは、仕方のない事情って意味で、自分の意志というのは、もっと自発的なもの、積極的なもの)

どうして、自分の意志で動くのが苦手なのか?

ー変わろうと積極的に動くことが、恥ずかしいから。

なんで恥ずかしく思うのか?

ー自分の意志で、何かやろうとしていると思われることが、耐えられないから。

 

ま、周りを意識しすぎてんのよね。結局は。

うん、結局、臆病で、自分の行動を常に見られていると思っている。

自意識が過剰になっているってやつだ。

 

つづく。。長くなりそうだ。