時にひきこもる思考

考察とnikki 一言で言えば、ただのエッセイ

神隠しのコンタクトレンズ

私の無邪気な神様は、私が望んだことを叶えてくれる。

ここ数日、ブログネタと仕事の朝ミーティング用のスピーチネタが思いつかずに、「何かネタは~」とずっと思い悩み嘆いていたら、無邪気な神様がコンタクトレンズの片方を隠してしまった。

おかげで、この休みに買いに行くというネタができてしまい、こうやって文章を書けている。
もちろん、スピーチでも話すしかない。

なんせ、ありえない紛失状況だったもので。

毎晩寝る前にコンタクトレンズ(ハード)を外してケースに入れるんだけど、それはもう、10数年と毎晩のようにやってきた習慣である。

それで、朝起きたら顔を洗ってる最中にケースごと流水で洗い流す。
これも同じく10数年とやってきている毎朝の習慣だ。

それなのに、その日は洗っている最中におかしなことに気が付いた。

レンズが入っていない、と。

水を止めて、排水溝を確認してみる。

穴自体はレンズサイズよりも細かいから、もし流れたとしても必ず引っかかるはずなのだ。
それなのに、そこにレンズは確認できず。

確かに小さいものです。大きさにして8ミリくらいの。

でも、うっすくブルーがかってて、よーく見ればレンズだと判明できるわけです。

それなのに洗面所を探しても見当たらない。

かといって、夜に外したレンズがケースに入ってないということもありえない。
ちゃんと外したものを、ケースに入れずにどこに置くんだ。

しかも、必ず右を外して左を外すという順序まで習慣として出来上がっている。

今まで室内で落としたことはあるけれど、こういったケースは初めてです。

今現在は、かつてなくしたと思っていた古いレンズで応戦してるけど、本当にどこに行ったのか。
おかげで2万円の出費。

コンタクトレンズ

こんな入れ物に入れてるの。
緑のにはレンズ入ってる。見える?

こういうことをね、無邪気な神様は知らんのです。

ソレにとって、私がどういう感情を抱こうが関係ない。

コンタクトレンズがなくなった→だから買いに行く」これだけ。

そこに悲しいだとか、お金がキツイだとか、そういう事情は一切なし。
そういう判断をしない。

ただただシンプルに、レンズが無くなったから買いに行く。
それだけなんですよ。

そこに、いいも悪いも、そういう判断を持っていない。

だから無邪気なんです。
人間にとっての、そういう都合を一切考えないから。

この前も、自転車のカギが汚いなぁと思ったら鍵を抜いて隠してしまった。

それさえも、「鍵を新しいのにしたい→ロックされてしまったから、買い替えに行く」という、シンプルな状況を寄こしてくれた。

たまにこういう事象を寄こしてくれる。

よかれと思ってるとかでもなく、ただただ望んだから「どうぞ」と返してくれるだけ。

だから叶えてくれる願いってのは、必ずしも自分にとっていい状況とは限らんというわけです。

でも、必ずどこかで願ったことなんでしょう。
スピーチのネタが欲しいと。

それを黙って叶えてくれただけ。
そこにはどんな意図もないんですよ。

 

もちろん、ここでの神ってのは別に何も人の形をした何かではなく、ただただそういう事象を「神の仕業」だとか「妖怪の仕業」だとかそういう風に呼んでるだけ。

そういや、人がいなくなるのを神隠しって呼ぶよね。

その方がイメージしやすいから、神という擬人手法を取っただけ。

いずれにせよ、2年は使いたかったコンタクトレンズが、2年を待たずして再購入になるのは、ちょっと勿体なかった。

しかも交換してもらった奴だから、実質1年しか使えてない!

返してくんねぇかな・・・